Side ハート 1(約5600字)

2015年04月08日 13:04
 このグランドラインには説明のつかない事象が多々ある。
 自身が口にして得た悪魔の実の能力にしても、その実の存在からして説明のしようがないものだ。だから大抵のことはある程度受け入れられる。
 霊魂の存在も然りだ。
 目の前に現れたなら、自身で確かめることができたなら、それを認めよう。





 ハートの海賊団船長トラファルガー・ローは、自身の船室で未知との遭遇を果たしていた。
 自らの海賊団を立ち上げ、手術室などの医療設備を備えた潜水艦というこだわりの船の完成を、珍しく高揚した気分を隠すことなく待ち侘び、初めて足を踏み入れた船長室。そこに入るのは船長である自分が最初でなくてはならないはずなのに、あろうことか先客がいるとはどういうことだ。
 ローは愛刀の鬼哭を肩に担ぎ入口に背を預け、その招かれざる侵入者を見据える。そいつはおそらくこちらに背を向けていて、落ち着きなくキョロキョロとしているようだった。
 おそらくというのは、その姿形がはっきりしないからだ。ぼんやりと霞んでいて、全体的に白っぽい。だが、一応人の形をしている。
 まだ何も置かれていない殺風景な空間に居座る白いモノ。これは一体何だろうと暫し考えてみるがこれまでの人生で遭遇した覚えのないもので、知識としては多少なりと持っているアレであろうとは結構早くに思い至った。
 自身が医者として人の生死に関わる以上、多少なりと身の内に降り掛かってくるだろうとは考えていた。関連する話もいくつか聞いている。否定するつもりは毛頭なく、単純に経験値として持っていないから肯定しないだけだ。

「船長、どうしました? 中に入らないんですか?」

 入口で足を止めたままのローに、ペンギンが背後から声を掛けた。
 ローは部屋の奥の白いモノを今一度見、ゆっくり振り返ってペンギンを見、また視線を部屋に戻した。やはり白いモノはそこにいる。

「……お前、アレが見えるか?」

 くい、と顎で室内を指し示す。
 促されて「なんですか?」とロー越しに部屋を覗いたペンギンは、何も置かれていないがらんとした空間を一応隅から隅まで見回した。

「え? どれ? なんかあるんですか?」

 ペンギンの反応から、今のところアレは自分にしか見えていないのだと確認する。
 いやいい、と小さく言い、さてアレをどうしたものかと思案した。これからこの船、この部屋で過ごす自分にとって必要のないものだ、放置しておくのも憚られる。
 まずはアレが初めに予想した通りのモノかどうか確かめなければと思い、漸く真新しい室内へ足を踏み入れゆっくりと白いモノに近付く。半分程距離を詰めたところで、キョロキョロと忙しなく動いていた頭がこちらを振り返ると動きが止まり、じっとこちらを見ているようだ。
 ローは一度足を止めて改めて白いモノを観察してみるが、顔はよく分からなかった。だが感情という程ではないが、空気がふわりと変わったのが伝わってくる。ローの存在を認識し、僅かに驚いているようだ。
 その様子に些か違和感を覚え眉間に少し力がこもると、白いモノは頭を微かに傾げ徐にローの方へ近付いてくる。これまでの様子から今のところ敵意や殺気のようなものは感じられなかったので、近付くに任せてみることにした。そうすると遠慮もなしに随分と近くまで寄ってきたが、そうまでしても顔はぼんやりとして分からないままだ。背はローよりも若干高いが見上げるという程でもない。
 向かい合ったまま黙って見ていると手が持ち上がり、ローの頭上に翳されたかと思うと突如として白いモノは消え去った。ローは左右に視線を走らせてからぐるりと背後まで見渡し、完全にアレがいなくなったと分かって小さく息をついた。
 入口の方でこちらを心配そうに伺っているペンギンと目が合うと、被っていた帽子を取りそれに目を落とす。白いファー状のもこもことした鍔付き帽だ。
 白いモノは、これに手を伸ばしたように見え、触れたか触れないかの距離で消えた。

「ペンギン。お前、霊魂ってやつを信じてるクチか?」
「……見たことないんで、なんとも」

 唐突に思いがけない質問を投げかけられ、ペンギンは首を傾げそれでも戸惑うことなく返答する。
 間近で見たぼんやりとした白いモノが、自分が想像した霊魂と同一かどうかははっきり言って分からないままだ。何故ならこれまで見たことなどないからだ。

「いたんですか? ユーレイ」
「ユーレイ、ねぇ……」

 アレをそう言うのなら、きっと、そうなんだろうとは思うが。
 ローは帽子を被り直し、曖昧な返事を残して部屋を後にした。
 
 
 
 
 
 勝手に現れて突如消えたユーレイが次に姿を見せたのは、船を出港させて初めての潜水をしたときだった。ローは自室で明かり取りの丸窓から、深度を増して行く毎に青みを増す海を眺めていた。
 自分しかいないはずの船長室に、突然ぼんやりと浮かび上がるように現れた白い影。
 ユーレイはローを見とめても然程変化はないようだったが、ぐるりと見回した室内の様子に驚いたようだった。前回現れた時には家具ひとつない殺風景な空間でしなかった部屋だが、既に出航したこの船は船長室に限らず、クルー全員の家となるべく生活に必要な物が積み込まれて所狭しと設置されていた。
 ローの部屋は壁一面に天井までの大きな本棚が作り付けられ、ここの重みだけで船が沈むのではないかという程の本が詰まっていた。それからモノが散乱した机と背もたれの高いキャスター付きチェア、マットレスに足がついた程度の素っ気ないベッド。本棚と一緒に設置された簡易シャワー室、クローゼット。それらの存在が、この部屋で船で彼らが生活をしているということを伝えてくる。
 ユーレイは室内を珍しそうに見回し、机の上を見、椅子の背もたれに手をかけ、本棚を眺め、いくつかの本の背表紙に触れ、その文字を覗き込み、換気の為に半分程開けていたシャワー室の扉の隙間から無理矢理頭を突っ込んで中を様子見、クローゼットの扉に手をかけ、ベッドまで移動して縁に腰掛けた。
 そこまで一連のユーレイの動きを、ローは黙って観察していた。その中で気付いたことがある。
 まず一般に霊魂・ユーレイと言われているものに、共通した特徴として上げられることは足がないということだ。全てがそれに当てはまるわけではないらしいが、見たと証言する者の多くは足がないことをそれの証明のひとつとしているようだ。
 その点で言えば、今ローの前でローのベッドに悠然と腰掛けているユーレイには足があった。部屋の中を縦横無尽に歩き回っている間も、文字通りユーレイ自身の二本の足で足音こそなかったが自在に移動していたのだ。前回現れた際の接近時にローよりも大体10センチ程背が高いことが分かったから、身長はおそらく180センチ前後だろう。その長身を考慮しても尚長いだろうと思われるすらりとした足を、今ローの目の前で組んだのである。
 この足の存在は白いモノがユーレイではないという証明になるのだろうか。だとしたら何だというと他にそれらしいものは今のところ思い当たらないので、取り敢えず暫くはユーレイということにしておこうと思う。
 前回はその存在に多少なりと驚きのあまり詳細を観察することはなかったが、よくよく見てみると少しずつ特徴らしきものも分かってきた。そう言えば前回もすんなり受け入れていたなと思ったのは、コイツが男であるだろうということだった。全体的にぼんやりとした白い影のようなものであったはずなのに、そこは何故か確信めいたものがあるのだ。
 それからこのユーレイは、この室内の物に触れることはできるようだが、動かすことができないようだった。本棚の本を引き出そうとしたが動かず、シャワー室の扉を開こうとしたが動かなかったので隙間から頭を突っ込むというガキ臭い動作をし、クローゼットの扉も開けようとしたがびくともしなかったのだろう。ユーレイ自身もひとつひとつ確認していくうちに、今ローが得た情報を自身で身を以て知覚したようだ。
 そしてずっと気になっていたこと。ユーレイはローのことを知っているのではないかということだ。
 前回ユーレイはローを見て僅かに驚いたように感じた。顔が見えないから表情でそれが解ったわけではなく、見逃してしまいそうなほどの小さな反応だが、竦んだというか怯んだというか、そんな空気が漂ったのだ。
 近付いてきた時も探るようなものではなく、多少なりと知っているものに対するような、言ってしまえば馴れ馴れしさのような印象を受けた。それは今現在目の前で足を組んで座るユーレイに更に色濃く見受けられる。
 コイツがローのことを知っているとして、どこまで知っているのか確かめたくなった。

「ROOM」

 ローは徐に能力を発動させ、ユーレイを取り込む程度の小さな結界を作り出した。
 するとユーレイはすぐにそれに気付き、素早く自分の周囲を見渡してからローの方を向いた。結界が張られたこと、それをローが施したことを分かっている。
 少し慌てたように立ち上がり、何やら文句を言っているようだ。声は聞こえないが、大きな身振り手振りでこちらに訴えかけているように見える。

「タクト」

 ローは構わずに能力を行使する。ユーレイを持ち上げてみようとするが、上がったのは先程までユーレイが座っていたベッドだった。それに驚いて文句らしきモノが一時止まり、背後でふわりと浮かぶベッドを振り返っている。
 ローはベッドを降ろすと訝し気にこちらを見遣るユーレイを見つめ、もう一度能力を使った。

「シャンブルズ」

 声とともに入れ替わったのは、ユーレイの背後に降ろしたばかりのベッドとロー自身だった。突如距離が近くなったローをユーレイが振り返る。得心が行ったとでも言うように、ふん、と鼻から小さく息を吐いてローは結界を解除した。
 ローが持ち上げたり入れ替えようとしていたのはユーレイだ。だがそれは悉く無効とされ、ユーレイが物質ではないので能力が及ばいことが確認できた。
 そして今間近でこちらを見ているユーレイはローのことを、少なくともローの能力のことは知っているということも分かった。結界を見て驚いたというより、結界を張られ更にはその状態で何が起こるか知っているからか、声こそ聞こえないが文句を言っていたのだろう。
 さて、そうなるとますます不可解が募る。ユーレイはローのことを一方的にある程度知っている。それは別段珍しいことではなかったが、あくまで生きている人間に限ってだ。
 海賊として海には出たが、まだ懸賞金が掛けられる程の悪目立ちをした覚えはない。本人に自覚はなくとも、目つきが悪い出で立ちが生意気だとよくわからないケンカをふっかけられることも少なくないが、その際にも直接命を奪うような血生臭いことはしていない、はずだ。
 大抵のことは能力を少し使うだけで片がついていたが、もしかしたらバラバラに切り刻んだ人間パズルが、ローが立ち去った後に犬にでも喰われて命を落としたことはあったかも知れないが、それはケンカを売ってきたヤツの酬いであってローの与り知らぬことだ。例えばそういったヤツらの一人がこのユーレイだったとして、ここに現れたのならきっと目的は復讐か何かだろう。だが目の前のユーレイはそういった負の波長が全くなく、どちらかといえば腹が立つ程に飄飄としている。
 それに、とローは改めて自分を僅かに見下ろす白いモノを、足元から舐めるように見上げていった。目が慣れてきた、とでも言うのだろうか。進行方向で前か後ろかくらいの違いしか分からなかった白いぼんやりとした影が、何となくではあるがどういう姿形をしているのか見えてきた。
 着ている物はおそらくスーツ。前を留め、ネクタイまでしっかりと締められている。先程も思ったが、長身である上に驚く程足が長い。全体的にすらりと細いがひょろひょろしているわけではなく、しっかり作られた体躯が細身と分かるスーツに包まれているのが見て取れた。顔は、こちらへ向けられている眼差しがひとつだけと気付く。
 そうしたところでより良く見えるかどうかは分からないが、思わず目を細めて見つめているとユーレイが笑ったような気がした。口許が緩やかに少しだけ上がり、徐に持ち上げられた手が眉間へ伸び、人差し指でユーレイ自身のそこをつんつんと差す。
 ローはつられるように自分の眉間に指を這わせてみると、そこは深い皺を刻んで凝り固まっているようだった。それに気付き若干顔面の力を抜いて皺を揉み解すようにしていると、ユーレイも現れている片眼を細めて今度こそはっきりと分かるように笑った。
 その際何かを言っていたようだったが、それはやはり音にならず結局内容は分からない。相手の声や動きの際に発生する音が全く聞こえないのなら、こちらからの声は聞こえるのだろうかと、不意に考える。

「お前は誰だ」

 いつもの低い声音、ぼそりと呟くような調子で、疑問を検証の道具にしてみる。笑っていたユーレイはピタリと動きを止め、ローを凝視した。
 聞こえたのだろうか、それとも口許が動いたから聞き取ろうとしているのか。どちらなのかの判別はつかなかった。
 稍の間を置いてから、小さく首を傾げた仕草は前回も見たような気がする。だが今日は薄らとだが表情も見て取れる。
 一歩距離を詰めてきてしゃがみ込み、ローを見上げた。片眼だったのは、長い前髪が顔の半分を覆っていたからだと知る。そして髪に隠れてチラチラと、およそ一般人には見慣れないものが視界に映った。それはどう見繕っても、眉の端がぐるぐると渦を巻いているようにしか見えない。
 どういう構造なのかと気になり、髪を搔き上げれば分かるだろうかと無意識に手を伸ばしていたらしく、ユーレイが自分に伸びてくる手を見て「あ、」と口が開いたのと髪に触れたのが同時で、ローもつられて「あ」と声に出していた時にはもう、ユーレイの姿は跡形もなく消え去っていた。
 前回もそうだった。ユーレイがローの帽子に触れた瞬間に消えていた。
 二人が触れ合うと、ユーレイは消えてしまうのだということも、分かった。