3.【R-18】欲望(約5000字)

2015年03月31日 15:00
R-18
コック=「あいつ」、もう一人は「アイツ」となっています。
わかりにくくてスイマセン。
タイトルとイメージはまたしても阿部義晴氏の曲から。
 
 
 
 
 
 今、おれの目の前にいるのは誰だ。

 事の始まりは、コックの様子がおかしいと感じたことだ。どこがと言われるとどことも言えないが、何となく。
 それは大きな戦いを終え、あいつが死線を彷徨うような傷を負った後に、ほんの僅かな時間感じる気配。コックからする気配なのに、どこかあいつらしくない。
 その違和感を確かめようとしても、らしくない気配はあっという間に消えてしまう。
 ルフィにそれとなく聞いたことがあるが、気付いていないようだ。大体にしてルフィは、仲間の気配を探るようなことはしない。
 だが探ったところで、それは針の先のような点で現れる。存在を知っていないと感知するのは難しいかも知れない。

 どうやらおれだけが知っているコックのものらしい気配。それが気になって正体を突き止めたくなり、あいつを目で追うようになった。
 追うようになってすぐに分ったことがある。やたらと目が合う。
 まさかと思ったが、あいつもおれを見ていた。
 初めこそ「見てんじゃねェよ」とケンカの種にもなったが、おれはいいチャンスだと思った。
 コックのおれを見る目は、おれがあいつを見る目とは違う。時折見せる色を含んだ瞳に、おれは引っ掛かった振りをした。お互いただの性欲処理だよな、と理由をつけて肌を重ね、溺れていく……振りをした。
 その頃からか、あいつらしくない気配の現れる頻度が上がってきたように思う。出現時間も、点がじわじわと滲むように少しずつ広がっていく。
 さすがにルフィも気づき出したようだが、違和感があろうとも結局はコックの気配には違いないので、然程気にはとめていないようだった。
 らしくない気配の存在が増していくのに、なかなか接触できないことに多少苛立ちを覚え始めた頃、その瞬間は突然やって来た。

 酒を取りにキッチンへ行くと、コックがテーブルに体を預けて寝ていた。いつもパタパタと忙しそうに立ち回り、こうして一人の時間に電池が切れたようになることはままある。
 あの気配はそうした時間を狙ったかのように現れることが多いが、決しておれや他の誰かが近くにいるときに出たことはない。だからおれも油断と言うか、気を抜いていた時だった。
 自分の腕を枕にして閉じていたコックの右目がなんの前触れもなく開いた。その瞬間に感じたあの気配に、おれは思わず体が固くなる。
 あいつの空色の眼は焦点が合っていないようで、ぼうっと視線が彷徨っている感じだ。そしてようやく現れた気配は、どこか不安げというか怯えた様子だった。
 おれは試しに視界の中に入ってみると、体全体がビクッと震え眼は完全に恐怖の色を映し、泣きそうに瞳が揺れたかと思うと瞼が落ちて、気配は消えた。
 その後も何もなかったかのようにコックは眠り続けていたが、まじまじとその顔を見てみると目頭にうっすらと涙が滲んでいる。いつも以上に長い時間現れた気配とそれに接触できたことに気を良くしたおれは、なんだか急に優しくしてやりたいような気分になって、瞼に唇を寄せ、滲んだ涙を吸い取ってやった。
 その後も幾度かそんな場面に出会すことがあり、らしくない気配は徐々におれを認識し始めたのか、怯えることはなくなってきた。とはいえいつも数秒のできごとで、それ以外の反応やまして会話なんてものはなかったが、なんとなく互いの存在を受け入れ始めた。
 コック本人はと言うとやはり意識のない間の出来事らしく、自身の気配が変わることにさえ無自覚だ。そのことがまたおれの心の奥底をやわやわと擽り、コックを二人相手にしているような妙な気分にさせる。
 一方で体を繋げ欲を吐き出すための交りを重ね、もう一方で僅かずつ存在を積み上げる刹那の逢瀬を重ねる。
 コックさえも知ることのない、おれだけの秘密がなんだか楽しくて仕方なかった。
 そんな状況が暫く続くと、また変化があった。

 いつものように皆が寝静まったのを見計らい、倉庫で欲を吐き出す処理をする。
 おれにとっては処理だが、あいつが何を思っておれに体を開いているのかはどうでもいい。初めから、あの気配が気になったから深く関わってみただけだ。ただあいつが情欲を持っておれを見る目は、男を抱くことに一瞬躊躇したおれを昂らせたし、抱く毎に艶を増して行く表情や肢体はその後も体を繋げる理由として十分だった。
 もうこれで何度目になるかわからない行為の中で、あいつが先に気を遣り意識を飛ばした後、締め付けヒクつく胎内へおれ自身も果てようとした時だった。
 アイツが現れた。
 おそらくコックの感じていた快感をそのまま受け、何が起こっているのかわからないのだろう。空色の眼が先刻のあいつの艶めきを残したまま、恐怖と不安に揺れている。既に限界だったおれは止めることなどできず、最奥まで腰を打ち付けて荒れ狂う欲をぶちまけるしかなかった。
 続け様に新たな快感をその身に受けたアイツは目を白黒させ、なまっちろい喉を反らせて魚みたいに口をパクパクとし出す。呼吸が上手くできないだろうことに気付き、口移しで空気を吹き込んでやると、カハッと喉を引き攣らせながら浅く息継ぎを始めた。
 ぽろぽろと流れ出す涙が、コックの体が齎す快感からくるものなのか、アイツの感情からくるものなのか、見ただけではわからない。ただおれはどうしてかその涙がとてもキレイに見えて、あの時キッチンでそうしたように、唇を寄せて止め処なく溢れる雫を啜った。前と同じ、いやそれ以上に塩辛い味に何故か胸が高鳴る。
 なんて美味いんだ、と思った自分に吃驚した。
 おれが今感じた感情の種類がわからなくて僅かに戸惑っていると、揺れる空色と目が合った。おれの姿を確認し、不安、恐怖に苛まれていた気配が一気に弛緩し、それは安堵に変わり、震える唇が声を出さずに言葉を紡ぐ。

 よかった
 いた

 幸せそうに微笑し、気配を消した。

 なんだ今の生き物は。
 コックは何てモノをその内に飼っていやがるんだ。

 完全に力の抜けた体から離れると、抜いた刺激で意識を戻したらしく僅かに呻きが漏れた。ゆるゆると開く瞼の下には、まだ焦点が合わない瞳が揺れている。
 どっちだ?
 気配はコックのものだとわかっていた筈なのに、思わず胸の内で漏らした呟きは信じられないことに、声に出ていたらしい。おれは相当動揺しているようだ。
 声はあいつに届いていたらしく、体がガタガタと震え出す。完全に意識が戻ったのか顔は青ざめ、忙しく変わる瞳の色は今度は昏く、絶望、というのがぴったり合う色だった。

「……会ったのか?」

 カチカチと歯の根を鳴らしながら掠れた声が漏れる。震えているのも血の気が引いているのも、寒いからではないだろう。
 コックは〈誰に〉会ったかと訊いているのだろうか。そんなもの、コックはここにいて、アイツはコックの中にいる。
 コックはアイツの存在を知っていたのか?
 いつからだ?
 初めから?

 あれは、何だ?

 低い唸るような声で問う。
 コックは震える手で顔を覆い、長い長い溜め息をついた。それは自分を落ち着けるためでもあったようで、全身の震えは少し引いている。手近にあったシーツを引き寄せて纏いながら体を起こし、タバコに火を点けようとするが相変わらず手は震えたままだ。
 何本かマッチをダメにし、やっと点いたタバコの煙を深々と吸い込む。先程の溜め息と同じように長く長く煙を吐いて、コックはずっと俯いたままだ。

「アレは、サンジだよ」

 視線は白いシーツの海に縫い付けたまま、あいつはよくわからない返答をした。
 コックの中にいるんだから、コックで間違いはない。別人格なのか、そうじゃないのか、別の何かなのか。

「サンジの、カケラだ」

 ますますもってわからない。
 わかるように話せと睨むと顔色は青ざめたまま、瞳は昏い色を残したまま、コックはほんの少しだけ笑った。
 あいつが言うには、アレは幼い時に死にかけた際に残った、〈サンジ〉の魂のカケラなのだと。嵐に飲み込まれて遭難し、岩だらけの何もない小島に打ち上げられ、食料も底を尽き、助けの船を来る日も来る日も待ち続け、息絶えた小さな命。骨と皮だけになった体から緩やかに出て行こうとする魂を一握り分捕まえ、元の体に押し込んだ、と。
 では、今ここでその説明をしているのはコックではないのか?

 お前は、誰だ?

「オレは……誰なんだろうな?」

 もう、わからなくなってきてる、とまた曖昧なことを言い出す。

 多分自分は、嵐に巻き込まれた客船の中の一人なんだと思う。あの時の自分は、ただ生きたかった。生きたいという想いしかもう覚えていない。
死に往く体と、体を失くして尚生きたい自分を繋ぎ止めるための、魂のカケラ。
 一握りの魂と一緒に、小さな体に入り込んだ。魂が持つ僅かな記憶と共に、体の主として生きてきた。
 自身の元の記憶も感情も性別も何もかも、サンジとして生きるために、この体とともに生きて行くために、ほとんど切り捨ててきた。青い波の音が聞こえるあの岩の小島に、サンジの魂と一緒に置いてきた。

「オレは、自分が誰だったのか、男だったのか女だったのか、そんなことすらもう判らない。かと言って、サンジであろうと生きてきたけど、サンジじゃない。本物に、会ったんだろ?」

 アレが、あの儚げな生き物が本物のコックだというのか。

「アイツは、オレを喰っていたんだ。知らないうちに、少しずつ、少しずつ。自我を……感情を持ち始めたのはつい最近だ。オレが……お前に惹かれてから」

 ここで漸くコックは顔を上げ、真っすぐにおれを見た。
 瞳はふるふると震え、縁取る虹彩は昏い昏いあお。

「サンジも、言い出したんだ。ゾロ、お前が欲しいって」

 おれは自然と口の端が上がった。
 恐怖の最中におれを見つけ安堵の表情を見せたアイツが、おれを欲しがっている。
 それはおれの好奇心を大いにそそった。
 おそらくとても下卑た笑いをしていたであろうおれを見、コックの瞳に揺れる絶望はより色濃く光る。

「オレはもう、お前に必要ないか?」

 そう問われ、わずかに思案し、そうだな、と答えた。元々気配が気になって、それを突き止めるために始めた関係だ。気配の正体が分かり、それがこちらに興味を示しているのなら、新しい暇つぶしは確保できている。
 寝るのは悪くなかったが、最近は少々煩わしさも感じていた。

 コックが涙を流している。同じ顔が泣いているのに、何故こうも印象が違うのか。
 手を差し伸べる気にもならない。

「……賭けを、していたんだ。サンジと」

 〈サンジ〉の魂は長い時間かけてじわりじわりとコックを喰い、今はもう存在の大きさは五分となり、あとは喰うか喰われるか。
 どちらもおれを渇望し、退くつもりはない。ならばオレに選ばせようということだったらしい。

「オレは、負けたんだな」

 ふふ、と自嘲気味に笑う。
 鼻を鳴らすようだった小さな笑いが何故かどんどん大きくなり、コックは大声で泣き笑っていた。壊れたおもちゃのようにひいひいと引き攣った声を上げ、顔を歪める。その様はおれが嫌いな生き物にそっくりで、これから〈サンジ〉が支配する体をわざと穢しているようで虫酸が走った。
 おれが腹立ちを持って見ていることに気付いたのか、あいつはバカ笑いをやめた。が、顔はニヤニヤとしたままだ。

「明け渡すよ。オレは元々サンジに入り込んだ紛い物だ。10歳で一度死んだ、あの可愛らしいサンジに喰われてやるさ」

 10歳? そうか、あれは子どもだったのか。
 あの脅え方、おれに見せた安堵の表情、笑顔。子どもの無垢さからきていたのか。
 だからあんなにもキレイで、愛おしく感じたのだ。

「だがな」

 コックは可笑しくて仕方ないというように、ずっと嗤っていた。

「何も知らない庇護されるだけの子どもが、情欲にまみれたオレを喰って何が出来上がるのか、心底楽しみだよ」

 ゾクリとする程の蠱惑的な笑みを浮かべ、コックは目を閉じて倒れた。
 ああ、こいつの中にいたのは、元は女だったんだ、きっと。煩わしく感じてきた執着の仕方も、最後のバカみたいな取り乱し方も、オレの大嫌いなタイプの女の仕草だった。

 だが最後に、あいつは何と言った?
 これから現れるのは、元々の〈サンジ〉じゃないのか?
 カケラ程だった小さな魂が、体を支配するまでの大きさを得るためにコックを全部喰い尽くす。たった今嫌悪したあの女を、無垢な〈サンジ〉が取込む。

『何が出来上がるのか』

 一杯食わされたような後味の悪さを感じつつも、これはこれで退屈しのぎにはなるだろう。
 ただ、斬りたくなるような代物だけは勘弁だ。

 白い指先がピクリと動き、瞼がわずかに震え、ゆっくりと持ち上がっていく。



 今、おれの目の前に現れるのは誰だ。



end