6.心臓よりも、その胃の腑を。(約3600字)

2015年04月09日 10:01
ロー誕ですが、しっとり?切な目に仕上がりました。
それからまたしても診断メーカーお題
【「朝の部屋」で登場人物が「見上げる」、「花束」という単語を使ったお話を考えて下さい。】
を盛り込んでおります。
何気にタイトル気に入ってます。
 
 
 
 
 
 初めは全く意識しなかった。ふと、そういえば、と言う程度に、気付く。
 煙草を挟んだ、唇。
 その先に火を点ける、仕草。
 両手で灯を囲った中に、ゆらりと橙に浮かぶ、元は白い、顔。
 髪の色は、色素の抜けたような薄い金だった。
 あの人を忘れていたわけではないが、こうして抱き込むことができる距離になって初めて、いくつかの共通点を見出すとは。ましてや、比べるだなんて。そんなつもりはなくとも、二人を並べて共通項を上げてやれば、それは立派な比較だ。
 おかしいな、俺はあの人をそんな目で見たことはなかったはずなのに。
 俺をぶん投げたり、殴り飛ばしたりするから、いつか殺してやろうと思ってたのに。それがいつの間にか大好きで、大切で、ずっと傍に居たくて。
 あの人の態度は変わらなかったはずなのに、俺がぶん投げられそうになるのを躱したり、殴られても吹っ飛ばなくなった頃から、口許が少し上を向くようになった。心を隠すような紅の形の下に、ほんの少しの本当が見えるようになった。
 だから俺は、あの人が好きになったのかもしれない。
 けれどそれは、欲とは別のものだった。それは断言できる。
 では何故俺は、腕の中の男に欲情し、重なる部分をこんなに必死になって探しているのだろうか。
 親指の腹を噛み切る。ぷつりと赤が盛り上がった。ぺろりと舐め取ると、旨味がないのに甘い味。鼻から抜ける、鉄錆の匂い。舌に載って消えたはずの赤が、濡れた指の腹に滲み出す。
 それを、眠る薄い唇に塗り付けた。右から左へ、上唇。左から右へ、下唇。
 次々滲む、赤をもう一度。右の口角から、ゆるりと頬へ。左の口角から、じわりと頬へ。
 大きな口に見える、紅の化粧。
 なんだ、全然似ていないじゃないか。
 まだ滲み出る赤が鬱陶しくなり、浅く開いた唇を割って親指を捩じ込んだ。匂いと、微かな味に、眠っていた舌が蠢き出す。絡んで舐め取り、ちゅうと吸い上げてくる口内は灼け付く程熱い。
 指を入れたまま顎を掴んでやれば、負けじと歯を立ててきた。「死」の最初の一文字に薄らと跡がつく程度の力で。
 ぼんやりと上がって行く瞼の奥に光る青に、息が詰まった。あの人の、サングラスの奥に光る眼は、何色だっただろうか。
 見たことがあるはずだ。けれど思い出せない。
 やはり知らなかったか。どうだったか。
 咬んでいた歯が浮き、力を失くした親指がずるりと抜け落ちる。下唇を巻き込んで、乾きかけた赤が顎から喉元を点々と汚した。
 青に見つめられ、動けなくなる。

「だぁれ?」

 不思議そうに見上げたまま、赤で彩った口許が小さく動いて、言葉を紡ぐ。
 質問の意図が分からず、黙ったまま見つめ合った。乱れた金糸の隙間から、普段は隠れて見えない右眼もこちらを伺っている。
 青い双眸に囚われる、初めての感覚。
 腕の中でゆるりと白い手が動き、俺の胸の真ん中、ハートの刺青の、丸いシンボルに掌を宛てた。

「ここにいるのは、だぁれだ?」

 二つの青が細くなり、赤い口許が少しだけ、上がった。心臓が跳ねたことが掌から伝わったらしく、一瞬驚いた顔をした男は、掌があった場所に楽しそうに口づけた。
 じゅう、と色気のない音をたててきつく吸い上げ、墨の色を僅か避けて自己主張を落とす。それを舌先でつつきながら、唇から移った赤をも大袈裟に舐め取った。

「オレはさ、別に構わないさ。お前の中に誰がいようと、重ねていようと、代わりだろうと。だってお前、オレのこと、好きだろう?」
「……重ねたかも知れねぇが、代わりにしたつもりはねぇ」
「うん、何となく、わかる……」

 赤い口から覗く赤い舌に誘われ、乾いた血のこびり付く唇を貪った。
 溶け出す、味と、匂い。

「オレは……お前のこと、ちゃん、と……好きだよ?」

 口づけの合間に、縫うように零れる、心。
 ああ、そうだな。疑いようもなく、伝わってくる。
 何故だろう、涙が溢れてきた。ぱたぱたと落ちて行く雫に、男もつられたのか、つう、と両の眦から熱い筋を伸ばした。
 二人分の涙で濡れた顔を、ついでに舐め取りながら、施した紅の化粧を拭っていく。キレイにはならずに、噎せ返る血の匂い。
 それでも、あの人を思わせる名残はなくなった。

「オレはさ、ちゃんと分かってるよ。お前のそれが、オレの持ってるものと似てるって」

 自分を救い上げてくれた、大切な人が、自分を支える礎であること。

「代わりになんてなれないさ、オレも、お前も」

 だから、と、もう一度胸に掌を重ねる。

「オレはお前がお前であるから好きだし、お前もそうだって、オレは、ちゃんと、知ってる」

 ここにも、オレがいることを知っている。
 そう言って見上げながら微笑う男が、薄いピンクの花のように見えた。黄色と、青と、ほんの少しの赤に彩られた、ピンクの花束。
 ぎゅ、と抱き締めると、腕の中でくすぐったそうに身を捩り、

「誕生日おめでとう」

 と、軽いキスを寄越した。










 すっかり明るくなった朝の部屋で、情事の名残を薄いシャツの中に仕舞い込んで、男は身支度を整えていく。
 白い体は黒いスーツにすっぽりと覆われ、ネクタイを締めると首元までシャツの襟が立ち、まるで鎧のようだ。

「今回、何も用意できなくて悪かったな」

 プレゼントのことを言っているのだとすぐに分かったが、眠い振りをして惚けてみる。気怠い空気が残る部屋の中で、男だけが日常に戻っていく、その姿が、僅か憎い。
 ベッドの中でぼんやり眺めていると、困ったような顔をして近付いてきた。
 ヤツらは、この男が戻ったらすぐに出航するだろう。オレは別の航路を行く。またしばらく、顔を合わせることはない。
 寄って来た男のネクタイを引くと、ゆっくりと倒れ掛かってきた。シャツの襟に指を突っ込むと、すぐに姿を見せる赤い痕。見えるか見えないかのぎりぎりのラインに、いつも残してやる。それさえ、次に会う時にはすっかり消え去っている。
 それほどの時間を、離れて過ごしている。だから、跡を残すことに男が文句を言ったことはなかった。
 体を僅か起こした男が、オレの首筋に食いついてきた。噛み付き、吸い付き、首から、胸から、腹へと、しるしを刻んでいく。
 珍しいこともあるものだと好きにさせていたが、忙しなく動く金色に急に溜まらなくなり、頭を掴み上げて引き寄せ、乱暴に唇を重ねた。こちらから差し出す前に舌が触れ合い、絡み合う。舌も、口の中も、漏れる吐息も、全部が熱い。
 呼吸が辛くなってきて、漸く二人、唇を離した。至近距離で見つめ合う。
 青い眼が、零れ落ちてきそうだ。
 これを、また、手放してしまうのか。次はいつ、手にすることができるのか。

「心臓を、寄越せ」

 きれいな青が訝し気に歪んだ。

「俺の心臓も、お前にやろう。心変わりをしたなら、興味を失ったのなら、その手で握り潰すといい。無論、俺もそうする」

 自分でも驚いた。俺は、そんなことを考えていたのかと。
 独占欲は強い方だという自覚はあった。だがこんなことを口走る程に切羽詰まっていたとは、思いもよらなかった。
 青が、やんわりと弧を描く。キツいキスをして微かに腫れた唇が、相変わらず物騒だな、と笑う。

「誕生日に、そんなモンが欲しいのか? 趣味悪ィ」

 ケタケタ笑いながら体を起こし、ジャケットを脱いだ。
 思い出したように煙草を取り出し、咥えて火を点ける。

「いいぜ。心臓、お前にやるよ。お前だったら、握り潰す直前まで大事にしてくれそうだしな」

 脱いだ方がいい? と呆気欄とまた笑った。
 シャツのボタンを外し、白い胸を曝して俺の手をとり、肌に押し付ける。

「心臓なんかより、胃袋欲しいよ、オレ。ちゃんと食ってなかったら、胃袋にオレのメシ突っ込んでやる。オレの作ったメシが、ちゃんとお前の中に入って、お前の一部になってくとこが見てぇ」

 ああ、お前らしいな。
 何でもないことのように笑う男を見ていたら、毒気が抜かれた。手を引いて、その手で頭を引き寄せ、反対の手で煙草を抜き取って、もう一度キスをした。

「やっぱいらねぇ」
「わっがままだなぁ、お前」

 知ってたけど、と言いながら、返してやった煙草を噛んで再び衣服を整えていく。また、首筋の赤が、鎧の中に消えた。

「煙草、一本だけ置いてけ」

 そう言うと、嬉しそうに微笑う。
 サイドテーブルの上に、箱から取り出した一本と、数本残っているマッチ。それだけを置いて、じゃあな、と軽い挨拶だけして部屋を出て行った。
 男が出て行ってから、どれだけ時間が過ぎたか分からない。陽はまだ高い位置にあるから、然程経ってはいないのだろう。
 すん、と部屋の匂いを確かめる。夜の色の匂いも、男の甘い残り香も、何もかも消えてしまった。
 テーブルに手を伸ばし、男が残していった煙草を軽く咥える。マッチを摩って火を入れる。
 吸い上げると、じわりと滲む苦み。肺には入れず、ゆっくりと煙を吹き出した。
 口の中に甦るキスの味と、部屋いっぱいに満ちる男の香り。
 これらが消えたら、この部屋を出ようと思った。



end