18.trespasser(約2200字)

2015年04月17日 09:25
アンビリバボー見て。
強盗、少年、妹 を 侵入者ゾロ、チビナス、少し年上従姉ナミで。
 
 
 
 
 
 サンジがこの家に来て数ヶ月。何事もなく、きっと全てはもう収束して、この先は穏やかな日々が続くと、少なくともナミは思っていた。
 庭の死角になる勝手口のガラスが小さな音で割られ、そこから腕が入ってきたのを見た瞬間に、ナミはサンジの手を引いていた。逃げ込んだ洗面脱衣所に鍵をかけ、浴槽に入ってそっと蓋をかけ、サンジの頭を抱えて息を潜める。
 ゴツ、ゴツ、と重いブーツの音がフローリングを歩き回る。廊下を行き来し、二階の各部屋を確認しているのが響きで分かり、心臓が痛いくらいに逸った。
 
「ナミさん」
「シッ」
 
 胸の中でサンジが小さく呼びかけるのを、咎めるように制した。彼にはナミの緊張が伝わっているだろう。
 でも、10歳にも満たないこの幼い従弟には今自分しかいないのだと、心を奮い立たせる。
 
「大丈夫、あんたは私が守るから。だから、大丈夫」
 
 自らにも言い聞かせるように、密やかに言葉を紡ぐ。
 その決意を感じ取ったのか、サンジは中学生になったばかりのナミに縋り付いた。
 
「……サンジくん、怖い?」
「ううん、だってあの人は……」
 
 ガチ、と硬い音が近くで鳴り、ナミは喉の奥で「ひっ」と声を漏らし、慌てて自分の口を塞いだ。鍵がかかっているドアノブを何度もガチャガチャと動かしている音が、苛立ちもあるのかどんどん大きくなる。
 急に音が止んだと思ったら、カチリ、と聞こえるはずのないほど小さな解錠の音が、届いた。閉じ込めを防止するための外鍵を使われたのだ。チャリンと、コインの落ちる音がやけに大きく響いた。
 ノブが回り、ドアが軋んで開く。
 ゴツ、と一歩踏み込む。二歩、三歩。
 浴室の折り扉がガタつきながら滑っていく。
 タイルを踏み込んだ音が緩く反響する。
 男が迫ってくる音の一つ一つが、やけに鮮明に聞こえてきた。
 ナミは口を押さえたままふうふうと荒くなる息を必死で堪えている。顔を上げたサンジは薄暗い中に、涙を溜めたその姿を見て胸が痛んだ。
 こんなに必死になって自分を守ってくれようとしているナミを愛しく思い、そして申し訳なく思った。
 風呂の蓋がゆっくりと持ち上がり、明るさが飛び込んでくる。それほど長く暗い中にいた訳ではないのに、すぐには目が慣れない。
 
「キャ……」
 
 上から覗き込んでくる人影に、ナミが大きな声を出しかけた。しかしそれは顔までも覆うような掌に塞がれ、ナミは後頭部を強か打ち付けた。
 全身の力が抜け意識を失ったのだと、密着していたサンジにはすぐにわかった。
 
「ナミさん!?」
 
 体を起こして見上げれば、ぐったりと青い顔で項垂れたナミは、軽く揺すっても動かない。
 
「死んじゃいねぇ」
「分かってるけど。乱暴にすんなよ!」
「コイツが声上げそうになったからだろう。不可抗力だ」
 
 ナミは薄っすらとした意識の中で、体は動かないまでもぼんやりと二人の会話が聞こえていた。
 
「……遅かった」
「悪い、準備に手間取った」
 
 サンジが両手を広げると男は両脇に手を差し入れて軽々と体を持ち上げ、腕の中へ抱き込んだ。
 サンジの重みがなくなったナミは息苦しさから僅か解放され、先ほどよりも意識が鮮明になってくる。ゆっくりと開いた視界には、男の首に両手を回して抱きつくサンジと、それを受け止めて背中が隠れるほど囲い込んだ男の太い腕が見えた。小さな肩口に埋められた頭部は短く切り揃えられた若草色。
 親から、気をつけろと言われていた容姿の一つだ。
 
「……サンジくん、を…離しな、さい……」
 
 また、サンジが辛い思いをしてしまう。
 絶対にダメだ。
 
「ナミさん、大丈夫だよ。オレ、この人と行く」
「ダメ……サンジくん、行っちゃダメ……!」
「この人は、ゾロは、ずっとオレを守ってくれたんだ。ナミさんみたいに」
 
 守っていた?
 だって、その男は。
 
「ナミさん、ありがとう。おじさんとおばさんにも、ありがとうって、伝えて」
「サンジくん!」
「さよなら、ナミさん」
 
 サンジは見たことのないような柔らかな顔で笑っていた。
 その横で、男の耳で揺れるピアスがキラキラ光を反射してた。これも、男の特徴の一つ。
 手を伸ばそうにも、重くて持ち上がらない。
 サンジを見つめる男の顔は、ひどく優しく見えた。
 重い靴音が耳を刺す。
 
「行かないで!」
 
 彼らは振り返らずに、行ってしまった。一人取り残されたナミは、両親が帰るまで浴槽で動けずにいた。
 
 
 
 父親を亡くしてから母親と二人きりだったサンジ。母の妹である叔母が結婚を考えていると身内の噂話で聞いていたが、ある日突然サンジだけがナミの家に引き取られてきた。
 内縁状態だった男に虐待され、そのことで叔母は心を病み入院したのだという。
 しばらくは男がサンジの周辺を伺っていると聞き、家族みんなで彼を守ってきた。ぎこちなくも、サンジもこの家に馴染んできたと思っていたのに。
 サンジはずっと男に守られてきたと言っていた。
 では、彼の白い体に残された痛々しい痕跡の数々は。
 入院している叔母は何も話すことができないのだと聞いた。真実は闇の中だ。
 やがて、偽造パスポートでサンジと男が日本を出たのだと大人たちが話していた。その後の行方は掴めない。
 サンジは遠いところに行ってしまった。
 自分が守るのだと誓った幼い綺麗な従弟。
 この胸の痛みは彼への同情だったのか、自覚する前に破れた小さな恋心だったのか。
 彼を守る者は他に居た。辛い思いしていないなら、幸せであるならそれでいいと、やっと思えるようになった。
 ナミは時折、彼の笑顔を思い出しては涙を溜めた。
 
 
 
 
end