5.【微R】可愛い人(約12500字)

2015年04月06日 13:52
現パロ。完全出来上がりゾサで、些細な秘密の趣味を持っているサンジのお話。
ついったで私の失敗をフォロワさんがネタ変換して下さいました。
 
 
 
 


 LINEで一言「かえる」とコールがあったから、家に着くのは職場から自転車で15分後くらいか。
 サンジはいそいそと今開いているブラウザのタブを閉じ、当たり障りのない検索画面を表示しておいてノートパソコンを閉じた。時間を見計らいながら鍋に火を入れる。
 キッチンに温もりが戻ってきた頃、玄関の鍵が回る音が聞こえた。

「ただいま」

 はめ込みガラスの扉の向こうで動いていた人影が、ノブを回してのっそりと入ってきた。

「おう、おかえり……って、なんだ、降ってたのか?」
「いや、霧雨だ。先風呂入る」

 濡れ芝生のような頭に、白いワイシャツがぴったりと肌に張り付いて筋肉が浮き出て見える。真っすぐ浴室へ向かうゾロの背中は然程濡れてはいなかった。全力で自転車を走らせて、前面だけに細かな雨粒を受けてしっとりと湿ったらしい。
 サンジは一度鍋の火を止め、代わりにタバコへ火を着けた。
 今風呂を済ませてしまうのならば、食後のランニングはなしということか。普段少し位の雨ならば気にせずに走りに行っていたのだが、今日は気分が乗らなかったようだ。
 以前、普通の雨よりも霧雨の方が面倒で走りにくいと漏らしていたことがあったが、サンジにとってその違いは説明を受けても全く理解しかねるものだったので、とりあえず霧雨の日に走りに行くことはあまりない、ということだけぼんやりと覚えていた。
 デスクワークの多い仕事で、運動不足解消のために始めたランニング。時間と天気の折り合いがつけば、ほぼ毎日欠かすこと無く行っている。数日走らないと違和感を覚える程だというのだから、身についてしまった習慣とは度を超えると面倒だとも思う。
 それは実はサンジにも言えることで、彼こそ料理をすることが既に自身の一部となっていて、それが思うように出来ないことがあると知らずストレスを貯めることがある。その被害を被るのは一番近くにいるゾロなのだが、ちょっとしたイライラをぶつけられる程度のそれは彼にしてみたらとても可愛らしいもので、受け止めて構ってやって甘やかしてやればすっかり解消されるので別段苦にもならない。それどころか普段あまり自ら甘えてくることのない恋人が見せる、天邪鬼な構ってサインであることも心得ていて、ゾロはそれをちょっと楽しみにしていたりもするのだった。
 さて、きっと走りに行かないなら遅い夕飯をとった後は、久し振りにまったりとした二人の時間が持てるということか。
 常から残業が多く、帰宅してからも夕飯を食べて走りに行って、後は軽く晩酌をして寝てしまうことが多い。サンジも平日は祖父のレストランで働いているが、ランチの喧噪を終えた後はディナーの仕込みを手伝い、夕方には帰宅できるようにしてもらっている。毎日疲れて帰ってくるゾロに温かい夕飯を食べさせてやりたいからだ。
 そのかわり、忙しい土日は終日レストランにこもっている状況だ。定休日は木曜日。土曜日半日、日曜休日のゾロとは基本的に休みが被らない。だからこそ、平日の夜の時間を大事にしたくて早く帰宅する。
 顔を合わせて、ご飯を食べるところを見て、他愛のないことを話して、一緒に眠る。天気が悪かったり残業のない日が続けば今日みたいな時間が取れる時もあるし、たまにやりくりして休日を合わせて出かけたりもする。
 とてもいいリズムで二人はやれていると思う。
 サンジはリビングに置いてあるパソコンになんとなく目を遣り、一息おいてからタバコを始末してテーブルセッティングを始めた。





 昨夜はまったりタイムもそこそこに、何となく間が空いてしまったセックスをした。ゾロは普段ランニングに使っている体力も総動員で、久し振りだからかとても盛り上がってしまった。
 今朝も目が覚めたのは奇跡なんじゃないかと思う位ギリギリで起床し、いいからと言われつつも弁当を作りながらシャワーを浴びさせて朝食を摂らせ、なんとかいつもの時間内でゾロを送り出すことができた。自身の手際の良さに内心で拍手と称賛を送る。
 眠ィ、と半分瞼の落ちて凶悪さの増した顔で振り返りながら、

「おめェは寝てろよ」

 と一言付け加えて自転車で走り去る後ろ姿に、咥え煙草でひらひらと手を振った。昨夜霧雨だった名残りが、空をどんよりと包む灰の雲に見て取れる。
 サンジも軽くシャワーを浴びてから簡単に食事と後片付けを済ませ、ふたりで寝落ちてしまって惨憺たる状態のベッドに手をつけた。苦笑しながら洗濯機を回し、それが終わるまでとソファに横になる。そこまで体を動かしてから、出掛けのゾロの言葉を思い出した。
 無茶をしたのはお互い様なのに、負担が大きくなってしまうサンジがちゃんと休みであることを考慮しての行為だというのが何だかくすぐったい。自分だって睡眠不足で終日仕事へ出かけなければならないのに。

「でも、ま、遠慮なく」

 そう言ってサンジは迫る睡魔に抗わず、とろんと瞼を落とした。





 どこか遠くで聞き慣れた電子音が鳴っていたが、ふんわりと夢の中から抜け出せず「あと少し」と誰にともなく呟く。だが、すぐにハッと目を覚まして壁で秒針を鳴らす時計に目を遣った。

「おわ、やっちまった」

 昼はとうに過ぎ、夕刻に片足を突っ込んでいる。洗濯機が終了の合図を伝えてから数時間経過していた。お陰で心身は多少スッキリとしている。
 サンジは慌てて起き上がり、洗濯機の蓋を開けて僅かに顔を顰めた。濡れたまま時間の経ってしまったシーツの生臭さに軽く舌打ちをして、再度洗濯機を回す。
 後回しにしていた家事を、逃してしまった昼食代わりにチョコをつまみながら片付け、二度目の洗い上がりのシーツを干して漸く外へ出た。
 夕食の為の買い物はいつもは仕事帰りになってしまうから、休日くらいは早めにセール品なんかを買いに行きたいと思っていたのに、結局チラシを見る余裕もなかった。それもこれも久し振りだからってアイツがねちねちとしつこくするから……などと脳内で八つ当たりしながら、まだ明るい時間に昨夜の自身の痴態を思い出してしまい思わずキョロキョロと周囲を見回す。
 どうかサトリがいませんようにと祈り、こんな無駄に恥ずかしい思いをするのもやっぱりアイツのせいだと胸の内で罵りながら買い物を済ませた。
 帰宅して、リビングに置きっぱなしだったノートパソコンが視界に入る。そうだ、今日は昨日の続きもしようと思っていたのに、何も手が付けられていない。
 サンジは「ん、」と僅かに逡巡したがすぐに夕食の準備に取り掛かった。とにかくやることをやってからだ。あれはあくまで趣味であって、空いた時間にすることと初めに決めたのだ。
 自分に言い聞かせるようにして、取り敢えず頭の中のものを払った。
 すっかりバッチリ夕食の準備はできたものの、待ち人からの連絡は未だ無し。帰宅時間が不規則なのはいつものことなので特に気にはしていないが、一人で夕食を摂ってしまおうか、先に風呂を済ませてしまおうか、それともこのまま待っていようか。どうにも判断に迷う時間帯というのがある。
 帰宅を待って一緒に食事するのが理想なのだが、思いもかけず遅い帰りになることもあって、そんな時には「食ってろよ」と何故か不機嫌になられた。サンジとしても食べている姿を見るだけで満たされるので、最近では無理に食事の時間を合わせることをしなくなった。要するに、一緒の食卓に着いて顔を合わせられる時間があればいい。
 そんなわけで、今日のところは一足先に夕食を済ませることにした。その際、新メニューである小鉢の一品を記録に残すことも忘れない。
 食器棚の引き出しから淡い水色に小花柄の可愛らしいランチョンマットを取り出し、そこに白磁の小鉢をセッティングして照明の位置を気にしながらスマートフォンを構える。何枚か撮影し気に入った一枚ができたことで、またいそいそとマットを引き出しに片してから食事に手を付けた。
 食後もなかなか帰宅を知らせる通知音がないので、サンジは漸くリビングのノートパソコンへ手を伸ばす。取り敢えず、さっき撮った写真の分をアップするだけ。
 何となく自分に言い訳をしながら、ファイルを数個奥に潜らせたブックマークを開く。見慣れたブログの編集画面。
そこに、事前に転送しておいた先程の画像と短い文章を載せて記事更新。これだけの作業なら手元のスマートフォンでも十分なのだけど、気になっていたのはパソコンでなくてはなかなか処理しづらい大量の情報だった。
 コメントの管理画面を開くと、今日も目を通しきれない程の通知が並ぶ。昨日の分も、その前の分も、全部見ることができていなかった。嬉しいけれど困ってしまうのも事実。性格的に、自分に向けられた言葉や思いをスルーすることができない。いっそコメント欄を閉じてしまおうかとも考えたが、どうにもこちらから絶ってしまう行動は好きではなかった。
 まずは何か質問の類はないだろうかと簡単に目を通し始める。全部に応えるのが難しいなら、せめて困っている人に。そう思って忙しなく右手でマウスを動かす。クリクリ、カチカチ、と画面をスクロールしたりページを移動したり。
 そうしながらカップに半分ほど残った紅茶に手を伸ばした。

「……! やっべっ」

 視線を向けずに手を遣ったせいで、指先で突き飛ばしてしまったティーカップはガチャンと硬い音を立てて、対面へ向かって琥珀の飛沫を飛ばす。向こう側のテーブル下に零れ落ちないようにと咄嗟に動いた体がしたのは、テーブルの上を広がる液体を堰き止めるように腕でカップごと囲ってしまうことだった。
 幸いノートパソコンが被害に合うことはなかったが、Tシャツの長袖はべっしゃりと濡れてしまった。紅茶も冷めかけていたので火傷の心配もない。タオルを取りに行くのも面倒で、サンジはシャツを脱ぐとそのままそれでテーブルを拭いてしまう。
 黒いシャツで良かったと思いながら洗濯機に放り込み、新しいシャツを出す位ならとシャワーを浴びてしまうことにした。ゾロからのLINE通知はまだないし、今連絡が来たとしても15分もあれば自分の方が先に風呂から出られるはず。
 そう判断して浴室に入ったはいいが、ボディソープもシャンプーも軒並みボトルが空になっており、それが解る度にいちいち風呂を出てストックを取り出して移し替えて、と予想以上の手間がかかった。

「空になったならせめて一言いいやがれってんだー!」

 うがー! と浴室で大声を上げていると、何やら扉の向こうに人の気配がする。あ、もう帰ってきやがった、と帰宅前に出られなかったことに妙な敗北感を感じ、仕上げのシャワーを全身にかけて扉を開けると、むわっと汗臭い男が目の前に立っていた。

「なに喚いてんだ」

 ぽたぽたと汗を滴らせながら、ゾロは怪訝な顔を向ける。

「お前こそなんで、ンな汗かいてんだよ。あああ、もう、早くシャワー浴びろ」

 大雑把に水滴を拭き取ったサンジが、入れ替わりにゾロを浴室へ押し込んだ。

「最速に挑戦してきた」
「……あほか」

 ドヤ顔を寄越してくるのがどういう意味か僅かに記憶を巡らせて、そういえば少し前にも似たようなことを言っていたなと思い出す。要するに、職場から自宅まで自転車で帰宅するスピードの最速だと。
 顔からすると、記録更新したのだろう。その結果のこの汗だ。
 まあ、嬉しそうで何よりだ。
 サンジは手早く衣類を身に着け、首にかけたタオルで髪から落ちる雫を拭き取りながらリビングへ移動する。
 ゾロがシャワーを済ます間に食事を温め直して……と考えていると、開きっぱなしになっていたノートパソコンが目の前に飛び込んできた。思わず「あ」と大きな声が出てしまったが、多分ゾロには聞こえていないはずだ。
 慌てて画面を見てみるとサンジが開いた時のまま、ブログのコメント管理画面。紅茶をひっくり返したことに焦って、画面をそのままにしてしまったのだ。
 心の中で「しまったーっ」と大声で叫ぶが、ゾロがコレを見たという確証はない。とは言うものの、ソファを挟んだローテーブルの上のパソコンは玄関の方を向いている。わざわざ汗を垂らしたままソファ越し、況してやソファを回り込んでまで画面を見に行くとは思えないが。
 多分見られていない、と思えるのは、元々このパソコン自体が共用であるにも関わらず、お互いそうだがそれぞれの履歴なんかを探るようなことをしたことがないからだ。
ゾロに関して言えば何か目について気になったならその都度訊いてくるから、それがないということは気になっていないか見ていないということになる。共用パソコンとは言いつつも使用しているのは殆ど家にいる時間が多いサンジだが、たまに何かを検索するのにゾロも触れる際、いちいち断ることもしない。だから不意に見られてもいいように、見られたくない画面はちゃんと閉じるように気をつけていたのに。
 そう、隠し事をするつもりはなかったが、いつの間にかサンジはゾロに何となく言い辛い、見せ辛い秘密を持ってしまった。時間が経つ程それは伝え難くなり、必死に隠すようなことになってしまっている。
 ガタガタと浴室から音が聞こえ、ゾロが出て来るのだと分かった。サンジは慌てて開いているタブを閉じ、いつもの検索サイトのトップページを設定して何気ないようにパソコンを放置した。
 出てきたゾロに食事を摂らせながら、ゾロの職場の小さな愚痴を聞いたり、今日は一日寝て過ごしてしまったもったいねぇ、とこちらも愚痴ったり、いつものようになんでもない会話を交わす。
 いつもと少しだけ違うのは、なんでもないような顔をしながらサンジがゾロの様子をそぅっと伺っていることだけだった。

 見てない、よな?

 小さな秘密に、胸がドキドキしていた。





 サンジはゾロと一緒に暮らすようになってから仕事の形態を変えて早く帰宅するようになったが、そこで以前にはなかった時間の余裕が僅かにできるようになった。
 新しいレシピの考案やそのヒントがないかとネットサーフィンをしているうちに、多くのお料理ブログを見るようになった。そこで自分も、作ったものの記録にしようと軽い気持ちでブログを始めてみた。
 その際何を血迷ったか女性名で登録をしてしまうが、全く理由がないわけでもなかった。世のお料理ブログの多くは、少なくともサンジが閲覧していたのは女性のものばかりで、その中の多くは既婚者だった。
 可愛らしいテーブルウェアに見目鮮やかな料理の数々。
 その合間に綴られる旦那様や子どもたちとの日常。
 愚痴も惚気も適度に織り交ぜられた空間。
 見ていてほっこりと心が温かくなるのが好きで、料理の質問や日常にコメントをするうちに何故だかブログ主の女性たちから、サンジは同性であると勘違いされていることに気付いた。失礼のないようにできるだけ丁寧にはしていたが硬すぎないようにと文章に気を遣い、時には絵文字顔文字も使ってみたりはしていた。
 だがきっと決定打は、ブログ主がたまに旦那について愚痴る内容に同意したり「ウチのも……」とコメントしていたことではないだろうか。サンジもパートナーがいて、外での仕事量や家事分担、夜の営みなどについていうと嫁ポジションになってしまうからか、世の奥様方の旦那についての愚痴が他人事とは思えないことがあるのだ。
「脱いだものひとつ片付けられない」と誰かが漏らせば、ウチもウチもと始まりまるで井戸端会議よろしくあれやこれやと出るわ出るわ。
 そんな関わりが楽しくて、まぁ誤解されたままでもいいかと思っていたのだが、いざ自分でブログを立ち上げようとした時に、そうやって遣り取りをしていた人たちの繋がりを残しつつかといって今更男ですとは言い辛かったのもあり、女性として登録するに至ったのである。
 その際困ったのがハンドルネームで、これまでは「マリモ」と名乗ってコメントしていたのだが、この名で万が一にでもゾロや知り合いに見つかったら気付かれてしまうのではないかと考え、ほんのちょっともじって「まりん」とした。WEB上の知り合いには改名してブログを立ち上げたことを報告し、それでも何となく名残を残したくて、アイコンを自宅にある瓶詰めのマリモの写真にした。
 二人で旅行した時に「お前の仲間だ、いや子どもだな」と冗談を言いつつ土産屋で記念に購入したものだ。実際仕事があって日中は家が無人で動物を飼うなんて事はできないのが現状なので、このマリモがサンジの癒しになっているのも事実だ。かなり至近距離のドアップで撮ったので、これが我が家のマリモであるとはちょっと見ただけでは分からないだろう。
 そんな風にして、軽い気持ちで別人を演じるようにして始めたブログは、あれよあれよという間にとんでもない方向へ向かった。和洋中創作料理にデザートまでと何でもござれのサンジの腕前に加え、難しい料理の解説やアレンジ方法、誰でも簡単に作ることができる一品など、バラエティに富んだ記事内容は当初から知り合いのブログ主である主婦達によって口コミで広められ、アクセス数、登録読者数共に驚異的な伸びを見せた。
 ポツポツとあったコメントも毎日目を通すのが難しい程になり、コメント返しなどは全くできる余裕もない。可能な限りは返していたのだが、ある時から「これはもうムリだ」と腹を決め、記事上でコメントのお礼と気になった質問に答えるに留めることにした。
 空いた時間でする趣味の記録、をできるだけ越えないようにと思っていても、本人の意図しないところで反響は大きくなっていく。いつしかサンジの預かり知らぬところで「カリスマブロガー」と呼ばれていたことを知ったのは、雨のせいで客足が鈍いランチタイムにやって来た、学生の頃からの友人であるナミの口からだった。
 調理も給仕も一息つき、他の客は同僚に任せて久し振りにゆっくりとナミとおしゃべりを楽しもうとした矢先に、スマートフォンの画面を鼻先に突き付けられた。

「これ、サンジ君でしょ?」

 女神の微笑みとサンジが称するその笑顔は、知る者が見ればおもちゃを見つけた小悪魔そのものだ。
 そんなところも含めてナミのことを敬愛して止まないサンジも、さすがに見覚えのある画面と彼女の言葉に引き攣った笑顔を誤魔化しきれなかった。

「なぁ~んで可愛らしい若奥様のフリなんかしてるの?」
「いや、あの、ね、ナミさん? これには色々と事情が、ね?」
「うん、事情があるのよね? いいわよ、ぜぇーんぶ聞いてあげる」
「え」

 そうしてサンジは、まりんちゃんを名乗ることになった経緯を洗いざらい吐かされたのだった。

「で、ゾロは知らない、と。まあ、見せられないわよね。可愛い奥さんが旦那の愚痴吐いてるブログなんて」
「う、うぅ……」
「あら、別にいいと思うわよ? これくらいの秘密、可愛いじゃない。それよりもサンジ君さぁ、アフィリエイトとかやんないの? こんなにアクセスあるんだから、結構稼げるわよ~」
「広告収入ってやつ?」

 そう! と頷くナミの目は¥だ。

「あれ、見た目ごちゃごちゃして煩いから、ちょっと。それよりもさ、どうしてこのブログに行き当たったの? しかもなんでオレだって分かったの?」

 あからさまに「もったいないわねぇ」と残念がるナミに、サンジは疑問をぶつける。彼女が気付いたということは、誰か他の知り合いも気付く可能性があるのではないだろうか。
 サンジからのサービスであるオレンジのパフェを食べながら、ナミは柄の長いスプーンの先を目の前で情けない顔をしている「まりんちゃん」へ突きつけた。

「サンジ君、自分のブログが今どれだけ人気か知らないの? 結構色んなサイトで紹介されてるわよ? これだけの内容なら、料理本として書籍化の話が出てもおかしくないと思うんだけど」
「あぁ、それなら何件かコメントとかDMきてたけど。なんかレディだって騙したままお金の絡むことしたくないし、今更男ですっていうのも内容的にアレだし……。まあ、そんなつもりで始めたんじゃないから、断ってる」
「本当にもったいないわね! まあ、いいわ。とにかく全く知らなかった私の目に触れる程、世の中に浸透してるのよ。ちなみにこれがサンジ君だって分かったのは私の観察眼のなせる技。食べたことがある料理が多かったのもそうだけど、食器に見覚えのあるものが多すぎるのよ」

 確かに、自宅にある食器はナミと一緒にいる時に購入していることが多いかも知れない。それもサンジはデートだと喜んで同行するが、ナミにとっては態のいい荷物持ちである。
 こうしてナミと出かけていることはゾロも知っていて、サンジが女性、特にナミの誘いを断れないのは病気のようなものだと諦めているし、自分との時間を割いてまで付き合っているわけではないので黙認していた。
 もちろんナミとしても、二人に負担を強いるつもりは全くない。ちゃんとサンジがOKを出し易い時を選んで付き合ってもらっているのだ。
 そうして一緒に出かけてナミの買い物に付き合いながら、目についたり気に入った食器やカトラリーを増やして行くのが近頃の常だった。なのでナミがブログに掲載された画像からサンジを割り当てたのは必然とも言えた。

「だからこの内容から、私の他にサンジ君まで辿り着くことは多分ないと思うわよ?」

 ゾロ以外は。

 ナミは最後の一言を意地悪く飲み込んだ。
 彼もおそらく、このブログを目にしない限りは分からないだろう。サンジはゾロのことを、細かいことに無関心で鈍感だと思っている節があるが、昔からの二人を知っているナミからすれば、ゾロほどサンジのことを見ている者はいないと思う。誰も気付かない些細な変化を見逃さず、マニアかと思う程サンジのことを知り尽くしている彼が、マリモのアイコンに気付かない訳がないのだ。食器だっていちいち言わないだけで新しいものには気付いているし、その度に「また荷物持ちに使いやがってこのやろう」と不機嫌なメールがナミの元に届くのだ。
 ゾロのことを鈍感だとぼやくサンジは周囲に細かな気配りができるが、こと自身に関しては超がつく鈍感だと皆口々に言う。だがそんな彼だからこそ、二人上手くバランスを取ってやって来れたのではないかとも思うのだ。
 培った空気感は端から見ていても暖かい。

「ま、私はそんなに興味ないからブログなんて見ないけど。頑張って更新してね、カリスマブロガーさん」

 自分がチェックしてると思ったら内容が萎縮してしまうだろうと、思ってもいない言葉で励ますナミは、女神の微笑みをサンジへ向けた。





 ゾロは少し前からチェックしているブログがあった。きっかけは職場の女性たちの話している内容がたまたま耳に入っただけだったのだが、何となく引っ掛かる単語があったので声を掛けてみた。
 普段から進んで人の会話に入ることがないゾロが、同僚女性の輪に入り込んだものだから当の彼女たちはとても驚いていたが、そんなことはお構いなしにゾロはその場で話題になっていたブログについて質問した。
 最近色々なところで紹介されているお料理ブログなのだが、内容も掲載されている料理の写真もとても可愛らしいのに、何故かアイコンだけが接写し過ぎてぼやけたなんとも情けないマリモの写真だというのだ。
 ただ一言「マリモ」という単語に反応したゾロを、彼を知る人たちは褒めてやって欲しい。サンジレーダーが反応したとしか思えない。
 職場のパソコンで、同僚から聞いた耳を疑うようなブログタイトルで検索をかけると、彼女たちが言うようにトップで出てきた。

『我が家はオールブルー』

 クリックして開いたページは可愛らしいデザインで、到底男が管理しているとは思い難い。
 
 マジか。やっぱりあのヒヨコ頭がこれをやっているのか。
 
 どう見ても男の要素がないページの中に、ゾロの馴染んだものがチラホラと目に付く。それはナミと出かけた時に増えた食器だったり、何よりもその器のなかの料理は昨日も一昨日も、ゾロが口にしたものだ。極めつけはやはりアイコンになっているマリモの写真だが、これこそゾロにしか分からない、サンジである証拠があった。
 ホントに、本当に些細なことだが、マリモが入っている瓶にほんの僅か、サンジの金の髪が反射して映り込んでいた。そう説明されて見ても分からない、サンジレーダーを持つゾロにしか分からないくらい些細なこと。
 そしてオールブルーとは、サンジが大好きなどマイナーな洋画のタイトルだった。海の楽園を目指すゆるりとした冒険ものでストーリーも役者の演技もどれも陳腐なものだったが、数秒映る海の楽園の描写がとてもキレイで、無理矢理見せられたゾロもそのシーンだけはとてもよく覚えている。そんな映画を知っていて、更にブログのタイトルに付けようなどというのはそうそういないだろう。
 ゾロはモニターを凝視したまま、知らず口が開いていた。読み進めるうちに、料理の紹介以外に目を疑う記事がチラホラと出てくる。
 いわゆる、旦那の愚痴。サンジに言われた覚えのある小言もあれば記憶にないものもあるが、彼ならば気になるであろう内容のものなど。ただ愚痴だけでなく、目を背けたくなるような何と言うか惚気のようなものも適度に織り交ぜられていて、これは本当に自分の恋人が書いた文章なのだろうかとやはり目を疑ってしまう。
 何がどうして女のフリなどしているのか、と。
 見れば見るほど頭を抱えたくなるが、あのぴよぴよした頭の中で理由は分からずとも、何か引けない事情があったのだろうとは思う。大方ナミ辺りの入れ知恵じゃないだろうかと考えるが、もし彼女がサンジのこれを知っていて関わっているのなら、それをゾロに匂わせないというのも腑に落ちない。どうにも自分たちのことをいい暇つぶしと思っている節がある。
 だが実際ナミからのアクションはこれまでなかったから、おそらくサンジの単独なのだろう。何にしても、少し様子を見てみようと思った。
 その晩は丁度いい具合にランニングへ行くのが億劫な天候で、昼間見たブログのことも気になっていたので家でゆっくりサンジと話すのもいいと思っていたのだが、気がつけば最近残業が多くてあまり直接的には触れ合っていなかったな、などと思ってしまったら急にムラムラしてきて、そういえば明日コイツ休みだったなと気付いたらもう抑えが効かなかった。
 サンジの方も普段は求められると「仕方ねぇなぁ」という空気を醸し出すのだが、この日は肌を重ねることが嬉しそうに見えたのは気のせいではないだろう。洗い上がりの濡れた髪を撫で、顔中にキスを落とすとくすぐったそうに身を竦める。
 ふとブログのことが脳裏を掠め、どうして可愛らしい奥さんなんかを装っているのか、もしかしたらどこか不具合でもあるんじゃないかと急に不安になった。もしや隠れている右の眉が伸び切っているんじゃないかとバカなことを考え、無骨な指を挿し入れて右目に掛かった金の髪を優しく梳き上げる。現れたのは髪の分け目を変える前に見ていた、見覚えのあるしっかりと巻いた眉尻だ。
 よしよし、ちゃんと巻いてんな、と妙なことでホッとしている自分の可笑しさには目を瞑り、気持ち良さそうな表情で身を任せるその瞼に唇を寄せ、ついでに渦巻く眉の中心にもキスをひとつ。幸せそうに微笑う恋人に心臓をぎゅっと持っていかれ、朝方近く泣きが入るまで徹底的に可愛がってしまった。
 翌日は寝不足が祟って一日気怠さが付き纏ったが、それとは別に妙にスッキリしていることも事実で自分の体の単純さに呆れながら、そういえば結局昨日はブログについて何も分からなかったなと、当初の目的が何も果たされていないことを一日も終わりそうな時分に思い出す。さて今日は聞き出そうか、それともこのまま様子を見ていた方がいいのかと思案しながら帰宅すると、自転車での帰宅最速時間を更新していた。
 家に入ると浴室からシャワーの音が聞こえ、どうやら「かえる」コールが入れ違ってしまったようだ。きっと間もなく上がるだろうからと入れ替わりでシャワーを済ませるつもりで、室内を移動した途端に視界に入ってきた開きっぱなしのノートパソコン。
 ブログの件がなければ、いつもなら気にも留めていない。何となく数歩近付いてソファ越しに覗いてみれば、書いてある内容までは読み取れないものの明らかにブログの編集画面だった。
 ゾロは何故かものすごい脱力感に襲われた。
 アイツは隠したいのか、言う機会がなかったからそのままになっていただけで知られても良かったのか、知って欲しかったのか、結局のところなんなんだ、と。こんな開けっぴろげに曝しているなんて、迂闊にも程があるだろう。
 本当にアイツはあほだ。
 胸の内であほだあほだと呟きながら浴室前に行くと、中で何やらうがーっと喚いている。出てきたサンジに取り敢えず当たり障りのない話題をと思い、帰宅最速時間更新を報告すると、あほに「あほか」と言われた。そのまま入れ替わりで汗を流し再びリビングでチラリとパソコンを見ると、見慣れた検索サイトのトップページが表示されていた。
 ゾロはそれを見てこれまでの疑問に終止符を打ち、見られたくないものであるということに結論付けた。そしていつも通りの何気ない会話をしながらサンジの様子を伺う。ブログのことには一切触れないし、取り繕おうとしているのだろうが、あほめ、とゾロは何度目か分からないその言葉を脳裏で繰り返した。
 サンジが動揺している様が分からないわけがなく、今回その直接的原因はゾロ自身に関わっていることだ。普段の様子と全く違うことに気付いていることに気付けよこのあほ、と自分のことには全くもって鈍感力を発揮するキンキラ頭の恋人が、もうあほあほ言い過ぎて可愛くて仕方なくなってしまった。
 そうだ、もう決めた、黙っていることにする。
 新メニューの肉料理を食べながら決意し、好みのソースの味に自然と「うまい」と言葉が口をついた。向かいに座って煙草をふかしていたサンジの耳に届いたらしく、口許からフィルターを離して

「だろ?」
 
 とにっかり歯を見せて笑う。その笑顔を見て、ああ、やっぱりうちのあほは可愛いなと、ゾロは脳内に花を咲かせた。
 それ以来、サンジのブログをチェックしている。文句というか愚痴が書かれていたら内容によっては「このやろう」と思うこともあるが、言葉が足りない自分の至らなさだと思ってそっと気をつけてみたり、直してみたり。
 例えば風呂でボディソープ類が無くなったら一言いって欲しい、という記事があって、あの日喚いていたのはこれかと気付いたので、「なくなって放置したらヒヨコがうるさい」とインプットしてあの日と結びつけると、何となく忘れずにいられるものだな、と新しい発見もある。
 食事を素直に美味いと言った翌日には、とても嬉しそうな更新がしてあるのを見るのは密かな楽しみにもなった。だからできるだけ言葉にするようになると、普段のサンジの反応さえもウキウキと可愛らしさ増し増しでゾロの心を鷲掴む。
 ブログを一部反面教師として、これからもサンジと上手くやっていけるとほくほくしているゾロに、ブログの存在を知ったナミが最後まで大人しく見守っているはずもなく。
 この先小悪魔に引っ掻き回されることになろうとは、ゾロもサンジも予想だにしないことであるが、それはまだ先の話。



end