Side ユーレイ 3【終】(約4000字)

2015年04月09日 14:55
 ふと気付くと、何もない部屋の中にいた。家具ひとつ見当たらず、殺風景な空間に扉と丸い小さな窓。
 ここを知っている、来たことがある。船が完成する直前の、ローの部屋だ。初めてローの過去に触れたあの部屋。 
 夢を見たのは久し振りだ。半年くらい経っているかも知れない。
 だがどうしてここなのだろうか。またローの過去に干渉するのか、それとも何か別の意味があるのか。
 ゆっくりと周囲を見渡す。何もない部屋で背後から、こつ、と靴音が響いた。
 サンジの心臓が竦み上がる。この夢の中で、音など聞こえたことはない。自分がたてる靴音だってこれまで無音だったし、辛うじてサンジ自身の声が自分の中に響いて聞こえて来るくらいだった。
 踵を返す、自身の靴音も響く。振り返った先にいたのは、半分予想していた人物だった。

「黒足屋?」

 ローの、探るような声が聞こえた。けれどもその姿はいまいちはっきりとしなくて、真っ白で色を持たず全体的に霞んでいる。
 まるでユーレイみたいだ。

「これは……夢か?」

 なんとなく驚いた顔をしている、ように見えた。
 夢の中の時はなかなか見ることができない表情だと思っていたけれど、同盟を組んで一緒に行動している時には結構目にしていたかも知れない。それだけ、ルフィや自分たち麦わらの一味に振り回されていたということだろう。

「ロー、久し振り」

 サンジはゆっくりと歩を進めた。
 夢を見なくなって半年くらいだったかも知れないが、実際のローに会うのは一年くらい間が空いていた。

「お前、真っ白でユーレイみたいだな」

 そう言って笑うと、ローも近付いてきた。1メートル程の間隔で、二人とも足を止める。
 ローは相変わらず眉間に皺を寄せ、サンジを僅かに見下ろしていた。

「お前もユーレイのままだぞ」

 サンジは思わず足元から見える範囲で自分を確認した。いつも通りの黒のスーツにネクタイ、シャツはお気に入りのブルーだ。
 これまでの夢の中で自身は勿論、ローや他のクルー、部屋の様子だってずっと色があった。今サンジから見えているローが真っ白でユーレイのようだと思ったが、ローにはずっとサンジのことがこう見えていたのかと初めて知った。
 本当に、ローにとってはユーレイだったのだな、と。
 サンジは気を取り直すように、懐から煙草を取り出して思いついたことを口にする。

「初めて夢ん中でお前と会った、お前の船ん中だからさ、また小さいお前に会えるかと思ったよ」
「俺の船?」

 ローの怪訝な声に、煙草に火を点けて顔を上げる。

「お前の……潜水艦だろ? まだ何も積み込んでいない、何もない部屋だ」
「麦わら屋の、お前たちの船の……食料庫だ」

 夢の中の、今いる場所さえ違うのか。どうして互いの船なんだと不思議に思うが、サンジにとってこの場所がある意味始まりの意味深いものであることに対し、きっとローにとってもサニー号のその場所が意味あるものなんだろう。
 それにしても随分とこれまでの夢とは仕様が異なる。ここまで勝手が違うと、試したくなってしまうではないか。
 これまでの夢と違うのなら、消えることなく触れることができるのでは、と甘い期待が胸をくすぐる。でも、もしも……と逡巡するサンジをよそに、ローが手を伸ばしてきて思わず後退ってしまった。ローも同じことを考えたのだろう。でもせっかく会えたのに、消えてしまっては勿体ない。

「黒足屋。お前ら、今どの辺にいる?」

 躊躇う様子を見て、ローが現実での航路を尋ねた。
 サンジは小首を傾げ、最近のナミの言葉を思い出す。

「確か次は……フォーセット島、だったかな?」

 ローの眼が僅かに見開いた。
 それから、ふっと吐息を漏らすように笑う。懐かしい笑い方だ、と思った。

「近ェな」
「え?」

 物理的に近付いたことで、夢が重なったのだろうか。

「その島のログは二日で溜まる。次がアザリアという島だ。俺たちは最近そこを出たばかりだ。……もし消えたら、そこで待て」

 言うなりサンジへ手を伸ばし今度こそ頬に触れようとしたが、その手はするりとすり抜けて顔を通過した。
 呆気に取られて動けなかったサンジが、我に返って自分も手を伸ばしてローに触れてみる。同じように通り抜け、なんの手応えもない。
 だがサンジは、嬉しそうに微笑んだ。

「よかった。消えねぇな」
「触れねェじゃねぇか」

 不満を漏らすローに小さく吹き出し、サンジは煙草を摘まんでピンと弾く。煙を上げたまま放物線を描いて飛んで行った煙草は、床に落ちる前にスッと消えて無くなった。

「でもさ、こうしても消えねぇんだぜ」

 一歩距離を詰め、すり抜けないように両手を回し、ローを抱き締めるように腕の中に囲った。そこにはない体積を意識し、その場にいるように、ふわりと優しく。
 ローも手を上げ、サンジと同じようにその白い姿を両腕で囲い抱いた。感触も、体温も何もない。
 けれど、漸く重なることができた。触れられずとも、消えずにこうして抱き合える。
 こんなことさえできなかったのだ。

「なあ、お前はいつからオレのことを想ってた?」
「さあ、いつだったかな。記憶が遠過ぎてわかんねぇよ。そういうお前はどうなんだ」

 素直に答えるだろうか、と考えつつふと湧いた疑問を投げかけてみると、思いの外すんなりと返事が返ってきて少し嬉しくなった。

「お前の成長を見守ってるうちにかなぁ」

 こんなに大きくなって、としみじみとした声音でちらりと見上げると、ぼんやりとしているが少々ばつの悪い顔で見下ろすローと目が合う。

「刻むぞ、テメェ」

 若い頃の姿を一方的に知られていることに気恥ずかしさがあるのか、とんだ照れ隠しを吐いているとサンジは可笑しくなった。
 そんな様子にローとしては、主導権を握られているようでなんだか面白くない。

「次会ったら……覚悟しとけ」

 抱き殺してやる、と喉の奥で飲み込んで、ローは丸い小さな頭に顔を埋めるように表情を隠した。
 クツクツと笑うサンジが不意に何かに気付いたが、ローも同様に何かの気配を捉える。以前にはなかった、もうじき目覚めるという感覚。夢の終わりが近付いている。
 サンジはするりと手を放し、ほんの少しだけ距離をとってローの顔をしっかりと見据えた。ローの腕はサンジをすり抜け、ぶらんと宙に浮く。感じてはいなかったはずの温もりが逃げたようで、急にヒンヤリと感じた。

「オレさ、お前に言いたいことがある」
「なんだ」
「ちゃんと、顔見て、生身のお前に言いたい」

 今更かも知れないけれど、でも、ちゃんと伝えたい。ずっと曖昧な繋がりだったからこそ、言葉にして、直接触れ合って伝えたい。
 サンジが何を言わんとしているのかを察し、ローにも思い当たることがあった。自分も強引にキスをしたが、よくよく考えてみると肝心なことは何も伝えていなかった。
 小さく息をつき、サンジを真っすぐ見つめる。

「俺も、だな」
「そっか」
「さっき言ったこと、覚えてるか」
「次の、次の島だろう?」
「ああ」

 迫るタイムリミットを感じながら、初めての約束を交わす。

「それじゃあ」
「ああ」

『アザリアで会おう』





 サンジを起こしたのはルフィの気配だった。
 後甲板で風と日射しを避け、心地良い陽気の中で短い昼寝をした。以前もこうやってルフィに起こされたな、と思い出す。
 だが今日は傍にしゃがみ込んで、サンジの寝顔を眺めているだけだった。

「……悪ィ、またおやつすっ飛ばしたか?」

 寝起きのぼんやりとした声で聞いてみるが、いや、と短く答えた。食べ物を催促せずに、黙ってサンジの横にいることが珍しい。

「いい夢見れたのか?」

 至極真面目な顔で聞いてくる。
 ヤバい、寝言でも言ったか、それとも表情に出てしまっているのか。サンジは無意識に口許を手で覆った。
 目だけで「何が?」と聞いてみる。

「スッキリした顔してるぞ」
「……そうか?」
「ドレスローザ出てからずっと、お前不安定だったからな。なんか、靄がかかったみたいにぼんやりしてたけど、急にそれがなくなった」
「……ッハ、すげぇなキャプテン」

 会いたかったヤツに会って、モヤモヤしていたことが少し解消して、次の約束まで取り付けられたのだ。

「うん、なんかスッキリした」

 サンジは立ち上がると、煙草を取り出して一服した。ふー、と紫煙を風に流しながら、遠く約束の島へ想いを馳せる。
 まるで恋するレディのようじゃないかと例えたところで、自覚はしていたものの急に自分の想いに名前がついてドキンとした。そうか、これは恋なんだな。
 途端に心拍は上がり顔は上気する。

「おぉぃサンジ、大丈夫か?」

 急激な変化に傍にいたルフィはびっくりしてチョッパーを呼びかけるが、それを必死で引き止めた。診察されたところで原因など船医に分かるはずもないし、言えるはずもない。それに、これについては申し訳ないが主治医がいる。
 本当に大丈夫だからと、ルフィにはおやつの話題を出して気を反らせたが、黒い瞳が優しそうに煌めいたのが見えた。
 一度だけ、夜中にローの話題を出したあの時の、傷に触れて「感謝している」と伝えた時の瞳と同じだ。彼には分かってしまっているのかもしれないが、どうやら飲み込んでくれたようだ。これはおやつを奮発しなくちゃな、と思いながら準備できたら声を掛けると伝えて食料庫へ入る。
 単純にキッチンへの通路として選択した場所だったのだが、唐突にここでキスされたことを思い出してまた心臓を跳ね上げた。どんだけ乙女だよ、と自身に突っ込みを入れながら、先程の夢の中でローはここにいたと言っていたことに気付く。
 ローにとってここが夢の舞台となるほど意味のある場所なんだと、夢の中で自分は考えたのだ。それを思うと、アイツも大概余裕がなかったんだな、とポーカーフェイスの下に隠れた可愛らしさに笑いが漏れた。

「うし!」

 乙女チックだってなんだっていい、もうすぐ会える。
 もう何度目か分からない再会の際にはまた驚く顔が見てみたいから、こちらからキスするのも面白いかもな、などと考えながらキッチンへの扉を開けた。



end