8.Share the heart(約2600字)

2015年04月09日 10:45
あれ、微妙に死ネタかもしれないです。
 
 
 
 
 
 その男には近づいてはいけない。
 昔海賊だったそうだ。海賊って知ってるかい?海の荒くれ者だよ。なんとかひちうかいとか言う偉そうな称号を掲げて、好きに暴れまわったそうだ。
 そんなに過去の栄光が手放せないのかねぇ、こうして日がな一日海を見ているだけさ。なんとも目つきの悪い胡散臭い男でね、大きな刀を肌身離さず抱えているんだ。
 しかも噂じゃ、心臓がないって言うんだ。夜な夜な暗闇で心臓を狩っているのを見たって話もある。
 お前さんみたいな小綺麗な奴は、迂闊に近寄ったら何されるか分かったもんじゃない。
 関わらないのが身のためだよ。



 噂の男について少し尋ねてみたら、随分とおしゃべりな集団に引っかかってしまった。だがこれで、探し求めていた男が彼であるという確信を持てた。あまりにも特徴的すぎるだろう。
 サンジはスーツの上から左胸をぎゅっと抑えて、先に見える丘に向かった。



 そこは見渡す限りの海が望める絶好の場所で、勝手に建てたと言われている小屋の前で、その男は椅子に腰掛けていた。
 海を眺めるその後ろ姿は知っているものとはだいぶ違っていたけれど、とても懐かしく見えた。肩から飛び出して見える大太刀の柄も、何度か触れたことがある見覚えのあるものだ。
 真っ黒なパーカーのフードを被って、丸めた背がその体をとても小さく見せる。サンジが近づいているのは、だいぶ前から気付いていたのだろう。気配が柔らかく優しい。

「ロー」

 躊躇いなく声をかける。椅子の上の男は微動だにしない。

「ゴメン、遅くなって。待っててくれたんだな」

 返事はない。
 サンジは男の前方へ回り込んだ。俯き加減の頭からフードを捲る。出てきたのは白髪の混じった、伸び放題の頭髪。隙間から覗くパールグレイの眼には、遠い昔に見た燃える意思が燻っている。
 瞳が、サンジを捉えた。

「遅ェよ」
「だからゴメンって」

 サンジは正面から、その体を抱きしめた。自分よりも大きく、すっぽりと腕の中に閉じ込められた記憶しかない。なのに今、この腕の中に収まってしまう小ささが、どれ程の時間彼を待たせてしまったのかということをまざまざと思い知らされる。
 背に回した掌に、ぽこんと感じる空虚な部分。

「約束を、果たしに来た」

 刺青の入った皺だらけの手を取り、自らの左胸に宛てる。

「心臓を返す。約束通り、お前の手でオレを殺してくれ」

 どくんどくんと、彼にとって馴染んだ鼓動が掌に伝わっていく。
 遠い昔に失ったはずの心臓。離れていても互いの所在が分かるようにと、たった一度体を重ねたその時に交換したきり、二度と会うことはなかった。
 サンジが死んだという事実を、ローは誰よりも早くに身をもって知った。自分の心臓の代わりに入っていたサンジの心臓が動きを止め、やがて腐り落ちて跡形もなく消えたのだ。
 小さな子供を助けるために海へ飛び込み、引き渡した直後に波に飲まれたのだという。一味は必死に彼を探したが、見つかることはなかった。見つからないからこそ、どこかで生きているかもしれないと一縷の望みを持っていたようだ。麦わらの船長が「諦めない」と、言葉と態度で示していたその瞬間も、ローだけは人知れず絶望の只中にいた。
 ひとつだけ分からないことがあった。ロー自身の心臓の行方だ。サンジの心臓は彼の死と共にローの元で消滅した。
 では、サンジが体に抱えていたローの心臓は。
 サンジと共に海の底に沈み、やがてサンジの体は海へと還って行き、残った心臓は水圧に押し潰され、魚に啄まれた体と共に海へ消えただろう。だからローも無事では済まなかったはずなのに。なのにどうして、こんなに長い時間を心臓なしで生きてこれたのだろうか。

「死なせたくなかったから。オレがお前を裏切って、心臓を守ったから」

 昏い海の底はとても温かく、守られているようだったとサンジは言う。心臓を庇うように沈んだ先で、海が次の生をくれると言った。
 大事なものを返す機会を与えてくれると。
 そうして、サンジの魂とローの心臓は一つになって生まれ変わった。

「新しい命でも、オレの中の心臓はオレだけのものじゃなかった。オレの鼓動であるはずなのに、オレじゃないリズムを刻む。それはお前がこの世界のどこかで生きている証拠だって。だからずっとずっと、探していたんだ」

 サンジは窪んで更に隈の濃くなった目を覗き込み、頬を両手で包んで、かさついた唇をぺろりと舐める。差し出された舌に眉尻を少し下げて笑い、優しく吸い上げ、深く口づけた。

「死ぬ時は、お前の手で。そう約束したのにな。一人にしてゴメンな」

 目の前で泣き笑う男を、やっぱりキレイだとローは思った。欲しくて欲しくて、半ば強引に手に入れて、無理な約束を取り付けて、無茶な心臓の交換なんかやらかして。
この男に受け入れさせた。
 誰にでも優しいその質を利用して。

「開放してやるよ、黒足屋」

 正直、また会いに来てくれただけで十分だった。新しい生をローのことなど考えずに、自分のためだけに生きることだってできたのに。

「なら、ちゃんと殺せ。この心臓を抜き取って、その刀で、オレを斬れ。お前の手で終わらせろ。お前が、そう約束したんだ」

 サンジはローの手を取り、鼓動を打つ心臓の上へ重ねた。衣服の上からでも、それは力強く掌に響く。

「お前はバカだ。オレがただの優しさで、お前の言うことをきいてると思ってたのか?」
「……俺は、もうすぐ終わる。お前が俺を忘れてなかったのなら、それでいい」
「ふざけんな、オレの気持ちを無視すんじゃねぇ。テメェが始めたことだ、きっちり落とし前つけろ」

 サンジはジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを外して胸を露わにした。心臓の位置に指をかけると、まるでローが能力を使ったようにすっぽりと抜ける。
 脈打つ箱状に切り取られた心臓を、パーカーの裾を無理矢理捲り上げて晒したローの、ぽっかりと空いた胸の穴へ押し込んだ。

「これを抱えて、オレに会いに来い。オレも、ちゃんと待ってるから。お前のこと」

 ローは少しだけ笑ったようだった。そのまま目を閉じ、二度と瞼は持ち上がらない。
 サンジはローの体を海へ還した。
 その胸に脈打つ心臓を託したまま。



 さあ、オレが尽きる前に、お前はオレの元に辿り着けるだろうか。
 ロー、お前はオレの業の深さを知らない。
 オレはお前を開放してなんかやらない。
 永劫、繋がり続けるんだ。
 ひとつの心臓を共有しあって。



end