3.淑女からの贈り物【終】(約2500字)

2015年04月07日 16:09
 緑の腹巻にお金の入った封筒を捻じ込まれ、たまには甲斐性見せろと鋭利なピンヒールで蹴り出された。ゾロはぎろりとナミを睨んだが「それに関しては利子なしにしてあげる」と明後日な事を言われ、何を言っても無駄であろうことを確信して口を噤んだ。
 おそらくその様子を終始目撃してしまったであろうサンジは困ったように笑いながら、それでも温かな心遣いを無駄にしたくはないと、ログが溜まるまでの一週間を二人揃って島で過ごすことにした。
 船から離れるということは、サンジの負担が減るということ。昨夜、自分の誕生日の宴であるのに忙しく動き回った彼への、クルーからのプレゼントでもあった。
 賑わう街へ足を向け、煙草をふかしながら、何も言わずに歩く。サンジが少し前を行き、後に続くようにゾロが。僅か、歩調を落とすと、ゾロが追いついて並んだ。

「視界に入ってろよ、迷子」

 ちらりと横目で咎めるように言うと、つらっとした顔をして手を握ってきた。ギョッとするサンジを横目で見て、ニィ、と口端を上げる。指を絡めて、恋人つなぎ。
 じわじわと赤くなっていく首筋から耳を眺める。

「いつもしてんじゃねぇか、これくらい」
「いつ! どこで!」
「イクときとか」

 今度こそ盛大に手を振り払われるが、ゾロは悪い気はせずニヤニヤと、また少し先を歩き出した金の頭を眺めた。
 サンジにしてみれば、そんな記憶のあやふやな時のことを持ち出されても反論のしようがない。全身恥ずかしさで茹だってしまっているこの姿を、きっと後ろから楽しそうに見ているんだろうと思うと更に暑くなってしまう。
 気を落ち着けようとジャケットのボタンに手をかけたとき、何かの気配が脳裏を掠めた。とても弱々しく、消え入りそうな、小さな命の気配。
 サンジは咄嗟に駆け出し、道を外れた草むらに入り込んだ。ただ事ならない様子にゾロも後を追う。感じた気配の欠片を頼りに、伸び放題の雑草を掻き分けて進むと、そこに気配の元らしきものを見つけた。
 体を丸めて横たわるキジトラの猫。死後数日は経っているだろう。体には傷と、乾いて黒くなった出血の跡も見られた。そして抱えるように幾つかの小さな体。柄の重さの違いはあるが、皆母猫と似た色の子猫だが、残念だがこちらも動く気配がない。
 おそらくカラスや何かから子猫を庇い、傷を負い、餌を得られず死んでしまったのだろう。そして母猫から糧を与えられずに子猫もまた。
 だが、先ほどサンジは命を感じたのだ。ここにいると、小さな命が声をあげた。

「ゴメンな」

 声をかけ、母猫の体を動かし、寄り添う子猫の山を掻き分け、そこに消え入りそうな命の塊を見つけた。
 とうに出ることはなくなっている母猫の乳房を咥えたまま、懸命に口を動かしている、黒い子猫。触れるとまだ暖かい。命の温度がある。
 そっと口から乳房を外して抱き上げ小指を口許に添わせると、筒のように丸めた舌を絡め、ちゅうと吸い付いてきた。
 どくんと胸が鳴る。

「お前か? オレを呼んだの」

 そうだ、呼ばれたのだ。
 ここにいると。見つけて欲しいと。

「どうする、船に戻るか。チョッパーに診せたほうがいいだろう」
「……ぁ、あぁ、そうだな」
「先に戻ってろ」
「お前は?」
「埋めたら戻る」

母猫と、兄弟たちを。

「……分かった。ちゃんと帰ってこいよ」

 サンジは子猫をジャケットの中に包み込むように抱き、空を駆けて行った。その姿を見届けてから、ゾロはいつかのような気持ちで穴を掘った。
 サニー号では出かけたはずのサンジだけが空から戻り、慌ててチョッパーを呼ぶ姿に皆が驚いて集まった。
 サンジの胸元から出てきた子猫に一目で事態を察したチョッパーは、すぐに手の空いている者に必要な物を用意させるために指示を飛ばす。保健室を閉め切って部屋を暖め、しばらくはサンジが抱きかかえて保温し、赤ん坊用のミルクを買いに走らせた。ついでとばかりに、迷子になりかねないゾロの回収も忘れずに。
 船医の適切な対処が功を奏したのか、元々の生命力の強さもあったのか。子猫はすぐに鳴き声を大きくした。ミャーミャーと鳴き、人間の赤ん坊用のミルクを二倍に薄めたものを飲み、サンジの懐ですやすやと眠る。
 回収され無事船に戻ったゾロも、その様を見て安心したようだった。
 皆興味津々に代わる代わる、サンジの腕の中をみては顔を綻ばせる。一巡し、再びやってきたルフィは子猫というよりは、サンジの顔を覗き込んでいつもの軽い調子で聞いた。

「で、どうすんだ? この猫」

 どうする、と問われ即答できない自分がいる。
 また、選択しなくてはいけない。奇跡の海を探し歩いたあの時、黒猫を連れて行くかどうかを選んだあの日のように。
 背中を押してくれたのはゾロだった。

「俺は、サンジの好きにすればいいと思うぞ」

 ルフィはにっかりと笑って、子猫の耳と耳の間を人差し指でくりくりと掻くように撫でた。その刺激で目を覚ましたのか、子猫が身動ぎ、ゆっくりと目を開け、初めてサンジを見上げる。
 その目に見つめられ、サンジは、泣いた。黒い毛に覆われた見事な金色が、サンジを捉えて離さない。
 その様子を見ていたルフィはぽんぽんと金の頭を撫で、もう一度「好きにすればいい」と言った。「な、ゾロ」とずっと傍で見守っていた剣士に声をかける。
 ソロも黒い子猫の容姿に胸打たれているようで言葉を詰まらせるが、一つ息をついて顔を上げた。

「いいんじゃねぇか、たまには好きなこと言ったって」

 何かをあからさまに欲しがることのないサンジの背を押すのは、やはりゾロだ。

「アイツからのプレゼントだとでも思って、傍におけばいい」
「……レディ?」
「あぁ」

 サンジは子猫を持ち上げ、鼻先を合わせるように顔を合わせる。

「そうなのか? レディ」

 みぁ、と小さな声と、ぺろぺろと鼻先を舐めるというよりは吸い付いてこようとするその仕草。

「もう関わっちまったんだ、ソイツの命に。最後まで責任持て」
「そうか……そうだな、放り出せないな。また、旅をしような。きっとお前になら見せられると思う、あの海を」

 黒い海の中に現れる、金色の奇跡の海を。



 馴染んだ煙草を咥えて、この大きな獅子の船で旅をしよう。
 奇跡の海を宿す小さな命も一緒に。
 いつまでも新たな夢を追い、どこまでも遠くへ。



end