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2015年04月08日 00:46

 

 初めて一緒に誕生日を迎えてから、毎年サンジの焼いたガトーショコラで過ごすことがなんとなく恒例になった。
 サンジの誕生日には後学の為ということで、彼のリクエストで有名店のケーキをゾロがプレゼントした。
 閉店後の店内、というのも時間が遅くなってしまうので、自宅に招くこともゼフの黙認となっている。そうなるとキッチンも自由に使えるので、ケーキ以外の料理もささやかではあるが何品か出すようになった。年を重ねるごとに品数もその質も上がっていくことを、ゾロは楽しみながら味わっていた。
 相変わらず連絡先の交換などしないし、店外でわざわざ会うようなこともない。年に二回の誕生日に二人でケーキとサンジの料理を味わって終わる、奇妙な関係が続いていた。

「いい加減、一緒に祝ってくれるレディとかいないのかよ」
「女は面倒臭ェ。それにお前のメシ食ってる方がいい」

 さらっとそんなことを言うあたり、無自覚な天然タラシ体質は昔と変わらないなと溜息を漏らしたのは、サンジが十四歳、ゾロが二十五歳になった誕生日のことだった。





*****





 年が明けて暫くした頃、ゼフが倒れて入院した。
 白く飾り気のない病室で、部屋と同じに真っ白な顔をしたゼフの眠るベッドサイドに座ったサンジもまた、顔色を無くしていた。
 年齢的なことを考えれば、色々とガタがきてもおかしくはない。ゼフが調子悪そうにしていたことに気付いていたし、病院にかかることも勧めていたのだ。なのに放置していたことをサンジは怒っていた。生気の感じられない顔色は、思い出したくもない記憶まで蘇らせる。
 サンジが物心つく前に父親を亡くし、母親と二人で生きてきた中で、唯一の拠り所まで突然の病で亡くした。この時代での一番古い記憶は、病院の霊安室で動かない母を目の前に、何も考えることができなかった時のものだ。
 幼い子を一人その場に置いておくことができないので、職員が別室に移動させようとしたが頑として動かなかった。そんな中で会ったこともない祖父が駆けつけ、彼にとって娘である母の顔を見るよりも先に抱き締めてくれたことがとても嬉しくて、ホッとして、やっと泣くことができた。その時の温もりが、サンジの支えになっている。
 なのに、また失くしてしまうかと思ったのだ。ぶっきらぼうだけど、とても優しくて温かい存在を。もう一人になるのは嫌だと思う反面、覚悟を決めなくてはいけないと思う自分もいる。
 知らず強く拳を握っていたらしく、そこに体温の低い掌が載せられて気が付いた。顔を上げるとゼフは目を覚ましていて、サンジと目が合った。

「すまんかったな」
「……まったくだ、このクソジジィ」

 掠れた声に鼻声で返す。少し泣いたことがバレてしまったかも知れない。だが、それでゼフが自身のことに気を遣ってくれるようになるのなら、それでもいいかと思った。
 家族への病状説明があるからと別室へ呼ばれ、入れ替わりでゾロがやってきたことに一瞬驚いたが、考えてみればこの病院はゾロの職場でもあった。電子カルテや院内の電子機器のネットワークなど、システムの管理をするSEだと言っていた。
 この病院にもバラティエのファンは多く、そのオーナーが運ばれてきたというのはそこそこのニュースとして院内に広がっていった。元々が女性主体の職場である。なかなか人の口に戸は立てられない。ゾロがバラティエの常連であることは周囲の人間には馴染みのことなので、顔を合わせた職員が親切にも教えてくれたのだ。
 すれ違いざま、ゾロはサンジの頭をくしゃりと撫でた。頭頂からじわりと温もりが染み込み、少しだけ体の緊張が抜けた。見上げるとゾロが柔らかく笑ってくれたので、大丈夫という返事の代わりに軽く頷いて病室を出た。
 その際、ゼフに招かれ顔を寄せて小さな話を始める二人を、視界の端に見た気がした。
 別室では医師と、病棟の主任だという見覚えのある黒髪の女性が待っていた。思わず名を呼びそうになるところを、慌てて口を噤む。
 不安に思っていたゼフの容体はおそらく胃潰瘍による出血からの貧血で、内服でコントロールできるものの年齢のこともあるので、症状が改善されなければ都度処置や酷ければ入院も考えていくということだった。
 もっともらしい説明に大人しく頷いていたが、サンジの中の大人の部分が違和感を拾い上げる。嘘は、すぐに分かってしまった。
 それでも、これはゼフが希望したサンジへの嘘なのだろうから、大人しく受け入れる振りをした。それに気付いた黒髪の主任と二人になり、入院手続きなどの説明を受けることになる。
 ちらちらと顔を盗み見ていることもすぐにばれ「どうかしたの? サンジ」と懐かしい柔らかさで名を呼ばれて泣きそうになってしまった。

「ろ、ロビン、ちゃん……オレのこと、知ってる?」
「もちろんよ、コックさん」

 何かもう、これまでのいろんな思いが溢れ出して、涙が止まらなくなった。みっともないとは思いつつ、ひとしきり泣いている間、ロビンはそっと背中を撫でていてくれた。
 漸く落ち着いてくると、今度は少し恥ずかしくなってくる。

「オレ、覚えている人に会うの初めてなんだ」
「あら、私もよ」
「寂しく、なかった?」
「そうね。こちらがどんなに懐かしさを抱いていても、相手にとっては初対面になるから。寂しくないと言えば嘘になるけど、白紙からの関係でもないでしょ?名残を見つけてあの頃を思い出すのも、楽しいものよ」

 ロビンはこれまでに何人か、記憶を持たない昔の仲間や関係者に会ったと言う。その中でも、サンジも知っているナミはこの病院に看護実習に来て、ロビンの指導を受けたことがあるそうだ。今は地元に戻って元気に看護師をしていると、ゾロから聞いていた。
 そして驚いたことに、ロビンとフランキーは夫婦であると言うのだ。

「人の縁って不思議なものね。覚えているのは私だけなのに、こうして繋がっていくの。今度はほら、思い出を共有できるあなたにも出会えた。それからね」

 そう言って自身の腹を愛おしそうに撫でる。

「ここにね、新しい家族がいるの。なんとなくなんだけど、黒髪の、元気な男の子じゃないかって確信があるの」
「すごい……すごいね、ロビンちゃん……おめでとう」

 嬉しさにまた涙を滲ませたサンジに、ありがとうと、あの頃と変わらない花のような笑顔でロビンは微笑った。他人の幸せを我が事のように喜べる、とても優しい子であったと思いを馳せる。
 サンジも祖父やレストランのコック達が所縁の者であったと告げると、身近に大切な人がいるのは幸せなことね、と手を握ってくれた。
 二人でクスクスと笑い合い、中断してしまった入院手続きを再開する。とは言ってもサンジはまだ義務教育中の未成年なので、主に入院生活に必要な物の用意等の説明に終始した。ゼフも起き上がれるようにはなっているし、書類の記入に不便はない。
 その中でちらりとサンジの視界に入ってきた、連帯保証人という言葉。
 サンジはゼフ以外に身寄りがいない。ゼフからも親戚等の話を聞いたことはない。これまで互いが唯一の肉親として、傍目にはそう見えないかもしれないが支え合って生きてきた。
 そんな彼らにとって自分たち以外に保証人と名のつくものを頼むことができる相手を、サンジは知らなかった。これは社会人であるパティやカルネに頼んでもいいものだろうか。
 俄かに考え込んでしまったサンジの様子に、ロビンはあぁ、と何かを思い出したようだった。

「そう言えばゾロがね、連帯保証人になるって言っていたわよ」
「……え? あ、ってか、ゾロのことも知って……?」

 ゾロもこの病院の職員であり、各入院病棟ナースステーションに設置してあるパソコン等のメンテナンスも仕事の一つだ。不具合があれば病棟に出入りするし、病棟看護科長や主任とも話をする機会は多い。だからロビンがゾロを知っているのは当然だった。

「それから、お祖父様の病状のことだけど……」
「あ、うん。なんとなく、分かってる」
「あなたが気付いていること、伝える?」

 そうすることで、サンジ自身にもより詳しい情報を提供することができるとロビンは考えた。

「いや……このままで、いいかな。難しいこと聞いてもよく分かんないし。気持ちの準備だけ、しておく」

 サンジは何も知らない子どもでいることを選んだ。知らない振りをするサンジにゼフもすぐに気付くだろうが、お互い何も言わないで気遣い合うのが自分たちらしいと小さく笑う。昔から、大事な言葉数は少ない方だった、お互いに。
 その代わり、何かあれば自分にも知らせて欲しいと頼んだ。
 それからゾロが保証人になると言い出したことについては、擦れ違いざまの咄嗟のことでロビンも詳しくは聞いていないのだという。だがサンジはなんとなく、自分とゼフに身寄りがないことを知っているゾロらしい申し出だと思った。
 実際入院の連帯保証人などは入院費の滞納があった場合のもので、入院の際にいちいち書かされるお決まりものでもあるから、とロビンに言われて、要するにきちんと支払えば迷惑はかからないのだと理解した。

「彼が言い出したことだから、名前を借りるくらい甘えてもいいんじゃない?」

 と、なんとも彼女らしい一見のんびりとした物言いに、本当にいいのだろうかと不安にもなる。だがロビンは何かあれば自分もサンジを助けるつもりであることを強く言い含めた。

「いい? お金のことなんて後でどうとでもなるの。例えゾロや私たちが支払うようなことになったとしても、いつかちゃんとしてくれればいい。返さなくていいと言ったところであなたは納得しないだろうし、そういうことをおざなりにできないのを知っているから。サンジ、あなたはまだ法の元では子供だから。だから、周囲の大人である私たちが助けるのよ。心置きなく守られていいの」

 それに、とロビンは後の言葉を飲み込む。あの激動の時代に、どれだけサンジに救われたことか。
 その柔らかい物腰、優しい言葉、心満たされる食べ物の数々。なによりも、自信に満ちたルフィとはまた違う、慈愛を湛えた彼の笑顔に安寧を与えられたのは、自分だけではないとロビンは知っている。誰も彼をも愛することができる彼だから、みんなが彼を愛していた。
 仲間であったあの時に、自分は与えられるばかりで何かを返すことができただろうかと、胸を焦がす。だから今、自分に出来る限りの事をしたいのだ。
 そしてそれはきっと、記憶を持たない彼もきっと同じ思いであるのではないか。いや、おそらくそれ以上の想いが、自覚のないままに溢れているはずだ。
 ロビンは海の上にいた頃、サンジとゾロが心を通わせていたことを知っていた。それは何を見てしまったというわけではないけれど、彼女特有の観察眼があってのことだった。
 二人の間に流れる空気が次第に暖かなものになっていくのを、微笑ましく思っていた。時折落ち込むこともあるサンジに、それとなくヒントを与えたりもして。だからか、ある時からサンジもロビンには知られていると気付いた。けれどお互いにそのことに言及したことはないし、不思議と無理に隠さなくていいのだと思うようになった。どうにも曖昧な関係ではあったが、サンジはロビンの前で取り繕うことをしなかったし、ロビンもそのことを嬉しく思っていた。
 ゾロもすぐに二人の雰囲気に気付いて初めこそいらぬ心配をしたりもしたが、それが自分にとっても懐かしいものであるとすぐに思い至った。遠い昔、自分を叱咤する黒髪の少女がいた。彼女も、ロビンがサンジを見るような目で自分を見ていた。
 幼い頃から大人に囲まれて過ごしてきた二人は、互いを姉弟のように感じていたのかも知れない。船の上に在って、一番家族というものに近い存在だったのだろう。
 時折妬けるほど、二人が共に在る時の空気は同じ色をしているように感じたと、ふとした時にゾロが漏らしたのをロビンは忘れらなかった。そんなことを打ち明けてくれるほど、彼もまた自分を近くに受け入れてくれたのだと、嬉しさに胸を打たれたのだから。
 そんな至極個人的な心の有り様まで思い出してしまったのは、やはり同じ思いを共有できるサンジに逢ったからだろう。だが今は彼も、大きな壁に立ち向かうための心の整理をしなければいけない。ロビンは懐かしい思いに浸ってしまった自分を叱責し、気を引き締めた。
 彼女の前で瞳を揺らめかせているサンジこそ、今の自分の立場は重々承知していた。幼い頃から持つ記憶のせいで少しばかり大人びていても、頭の回転が早かろうと、世間的にはただの中学生でしかない。庇護者であるゼフを亡くした先の自分を想像しなくてはならないのは、精神的にとてつもなく大きな負荷であるが、目を逸らすことのできない現実なのだ。
 心を強く持たなくてはならない。
 けれど、どうしても考えてしまうのだ。

「オレ……どうしてオレだけ、こんな…みんなと、違うんだろう……」

 一人子供で、守られるばかりで。
 ゼフのことだって、結局は何もしてやれることはない。させてもくれない。
 子供だから。
 悔しさに俯いてしまったサンジを、ロビンはそっと抱きしめた。驚き戸惑うサンジの背をポンポンと叩き、金の髪を優しく撫で付ける。こんな風に触れるのは初めてで、思った以上の柔らかさに目を細めた。

「ろ、ロビンちゃん?」
「さぁ、どうしてかしらね。あなたはみんなを甘やかし過ぎたのかも知れない。だから、今度はあなたが遠慮なく甘やかされるような状況を、誰かが作ってくれたのかもね」
「甘、やかす?」
「そうよ。私はあなたに甘えられると、とても嬉しいわ」
「よく、分かんないよ」
「言い方を変えましょうか? どんなことでもいいから私を、傍にいる人たちを頼って欲しい。一人だと思わないで。みんな、あなたを愛しているから」

 一人じゃない。
 その一言がとても染み入る。
 こんなに繋がりのある人たちに囲まれていても、ずっと孤独だった。誰も以前のサンジを知らない。運命的とも思える結びつきを知っているのは自分だけで、意識しているのも自分一人で。
 だが、意識しすぎるばかりに今現在の縁を疎かにしていたのではないだろうか。ゼフとはちゃんと血の繋がりがある。どんな形でも大好きな人たちに再会できて、繋がっている。これはとんでもない奇跡で、その奇跡に気付けている幸福を噛み締めて生きていけばいい。
 なにより記憶のないゾロがこんなに傍にいて、サンジを助けるとロビンに言ったというのだから。大事にされている、と自惚れてもいいのではないか。ただの同情でそんなことを言う男ではないことを、サンジ自身が一番分かっているはずだ。
 顔を上げたサンジに揺らいだ様子はもう見えず、ロビンは静かに彼を解放した。離れ際ロビンの手を取り、サンジは両手で強くなりすぎないように握る。

「ありがとう、ロビンちゃん。オレに答えをくれるのはいつも君だ」

 凛とした、迷いのない瞳。船の上で、挑むように海を見ていた姿が重なる。
 そういえば彼は、求めていた海を見つけることができただろうか。そこが思い出せなかった。
 ロビンはにっこりと笑ってサンジに応えた。





*****





 ゼフは数日の入院で極度の貧血症状がやや改善され、一度帰宅できることになった。だがそれは身辺を整えるためであることをサンジも分かっていた。相変わらずゼフは肝心なことは何も言わないし、サンジも聞こうとしない。
 ゼフは店を閉め、一階の店舗を売りに出した。コック達は解雇となったが、ゼフの口利きでそれぞれ申し分のない次の職場へと移っていった。
 特にパティやカルネなどはサンジがこのレストランで働こうと心に決めていたのを知っていたからか、店を畳むことに強く反対したが、ゼフがもう厨房に立つことが難しいと言ったことで何も言えなくなってしまった。サンジがこの場所に立てるまで自分たちが店を、と考えたりもした。だが自分たちがゼフを慕ってこの店を選んだように、客もまたここがゼフの店であるから足を運ぶのだということを痛いほど分かっている。サンジが一人前になって腕を奮うまで、店を維持できる保証は何もないのだ。
 彼らは泣く泣く店を後にした。乱暴だが気のいいコック達は、みな自分の連絡先をサンジに残していった。その後ろ姿に、サンジは大きく「ありがとう」と声をかけた。
 ちゃんと周りを見てみれば、こんなにも自分は愛されていると知る。ロビンの言葉を思い出しながら、サンジは日々を過ごした。
 年が明けてすぐからたくさんのことがありすぎてバタバタとしていたが、サンジは高校受験を控えていた。だが元々成績は上位であったし、なによりサンジ本人がこの入試を失敗できないと強く決意を固めていた。ゼフに要らぬ心配をかけてはいけないし、万が一入試を落としてしまうのがゼフのせいであってはいけないのだ。
 だからゼフとの時間を大切にしつつも、これまで以上に机にも向かった。勿論、そんな様子は微塵も見せないのがサンジであったが。
 ゼフの体調は比較的安定しており、家のキッチンに立つくらいはなんとかなった。だがそれもサンジと交代しているうちに、次第にサンジが担う割合が多くなってくる。ゼフの体力は確実に落ちていった。
 サンジの作る料理を美味いとも不味いとも言わずに食べる姿を目に焼き付ける。時折小さく口の端が上がるのを見逃さずに。
 入試が差し迫った三月の初め、サンジの誕生日にはゼフがケーキを焼いてくれた。サンジが出かけている隙のことだったので、完全にサプライズだった。どうやらゾロも一枚噛んでいたようで、彼と過ごすようになって初めて三人で誕生日を迎えた。
 サンジは十五歳になった。
 サンジの入試が終わるのを待つようにしてゼフはとうとう入院し、病室のベッドの上でサンジの卒業と合格の報告を聞く。そして一切苦しむことなく、眠っているうちに息を引き取った。
 誰も彼の最後を看取ることはなかったが、とても穏やかな顔でいつまでも眠っているだけのように見えた。病院に駆けつけたサンジもその顔に泣くに泣けなかった。
 身内がいないのでこじんまりとした葬儀の最中もなんだかふわふわとした妙な気分だったが、その彼を支えたのはゾロだった。サンジを気遣いながらテキパキと雑務をこなしていく姿をぼーっと見ていると、そんなゾロを更にナミやロビン、この時代では初めて会うフランキーまでもが脇を固めて協力している。
 あぁ、懐かしい海の上の光景だとサンジはぼんやり思った。
 そこから先のことはほとんど記憶になく、はっきりと意識が戻った時には全てが終わった後で、サンジは自室のベッドの上だった。傍にいたのはゾロだった。葬儀が終わってから熱を出して倒れたらしい。
 それまでは少しぼんやりしたところもあったが、気丈に振舞っていたから気付かなかったが、ずっと微熱があったのだろう。周囲も本人さえも気付けない程、動揺は大きかったのだ。
 そして、なによりも。

「もういいぞ、誰もいねぇ。なんならおれも出て行ってやる。だから……」

 最後まで続くことなく、ゾロの胸元はサンジに引き寄せられる。そこに顔を埋め、金色の頭は震えながら慟哭した。
 聞いたこともない、激しい嗚咽。ゾロの白いワイシャツがしとどに濡れていく。
 悲しみを内に溜めすぎてはいけない。泣いて吐き出してしまえばいい。そうして前を向いて歩いていかなければならないのだ。
 それが、遺された者の道だ。

「も……大丈夫……」

 ひとしきり泣き喚いて顔を上げたサンジは、目元が赤く腫れ上がり声も掠れて酷い有様だ。けれど、表情は心なしかすっきりとしている。
 ゾロはサンジの頭に手を乗せ、わしゃわしゃと掻き乱した。随分と大きくなって、もう掌に収まることはない。

「お前、おれんトコ来い」
「……え?」
「ジィさんには許可もらってる。できるならその方がいいとも言ってた」
「何? そんなの、いつの間に……」
「顔合わす機会なんかいくらでもある。それとな、ここに固執するようなら引き離せ、ともな」

 ここ、と言って指差したのは床、その下の店。

「ここはジィさんの味が染み込んだ店で、お前のものじゃない。お前にはお前の味を作る道があるし、それはどこでだってやっていける。縁があればまた、ここはお前のものになるだろう、ってな」
「ジジィと何話したんだよ」
「それはまた今度、落ち着いた時にでもな。お前は一人でもそつなくやっていけるだろうが、何かあったときは一人より二人の方がいいだろ。なにより、こりゃあおれの我儘でもあるんだが……」
「なんだよ」

 珍しく言い淀んでいる姿に、上目で先を促す。
 ゾロは少しだけ決まり悪そうに口を開いた。

「お前のメシが食いてぇ」

 ずくん、と心臓が動いた。ここしばらく封印していた、想いが騒ぎ出す。
 だって、これは、これでは。

「なんか、プロポーズみてぇ……」

 がしがしと頭を掻いていたゾロの動きが止まる。サンジの言葉の意味を理解したのだろう、途端に顔が真っ赤になった。

「お、お、おれは、そんなつもりは!」

 慌てふためくゾロがなんだか可愛く見えて、その大きな体に抱きついた。

(これぐらいは、いいよな?)

「ありがとう」

(一緒にいることを許してくれて)

 ゾロの大きな手が、ぽんぽんと頭で跳ねた。
 春から、新しい毎日が始まる。