2.曖昧な温度(約5700字)

2015年04月16日 02:28
ゾサ前提ルサン続き。
こんなつもりはなかった! な方向へ行ってしまいました。
6/3ルサンの日記念。
 
 
 
 
 
「おーい、サンジぃー。ルフィ落ちたぞー」
 
 どぷんという水音の後に、ウソップの危機感のカケラもない声がのんびり響く。
 二階のキッチン前で一服していたサンジは、あからさまに顔を顰めて靴を脱いだ。手摺に足を掛けいつもよりも強く蹴り出して、きれいな放物線を描いて海に吸い込まれるように消えた。やや暫くすると、ルフィの首を乱暴に抱えた金色の頭が水面から飛び出してくる。ウソップが船縁から掛けた縄梯子を、ぐったりとして水を吸った分更に重くなった体を脇に抱えながら、ようやっとの思いで登りきった。
 芝生甲板に脱力した体を叩き付けるように放り投げ、サンジは荒く息をつきながら座り込んで項垂れた。
 
「いやぁ、ご苦労だったな」
 
 暢気にそんなことを言いながら梯子を上げるウソップをギラリと睨みつけ、シャツの胸ポケットに入れていたはずのタバコの箱を探る。だがそこには何もなく、手は虚しく胸を叩いただけだ。
 ああ、また一箱無駄にした。
 チッと大きく舌打ちをし、気を失って転がったままのルフィの足を腹立ち紛れに蹴り飛ばした。
 
「なんでオレを呼ぶんだよ。お前でもいけるだろ?」
 
 器用に縄梯子を丸めて纏めているウソップに低い声で投げかける。やだなぁ、怖いなぁ、とウソップはできるだけ目を合わせないように作業を続けた。
 確かにウソップも泳げないわけではないし、自船の能力者がまとめて海に放り出される、もしくは落ちた能力者を追って能力者が助けに行ってしまうという負の連鎖によって助けに飛び込むことはままある。ましてや今は凪いでいて、助けに飛び込むのはウソップでも何ら問題は無かったはずだ。それをわざわざキッチンを出てきたばかりのサンジにさせる必要も。
 加えて言うならば、こんなタイミングでルフィが海に落ち、サンジが飛び込むということがこの一週間でほぼ毎日なのだ。いいかげん疲労もイライラも溜まってくるというものだ。
 サンジの怒りが静かであればある程、それは本気度が増しているということがわかる。
 
「……ルフィに言われてんだよ」
「あぁ!? 何を!?」
「サンジ呼べって。なんか変な迫力で怖ぇんだって」
 
 薄々分かっていたが、要するにわざとだったわけだ、海に落ちていたのは。それをわざわざサンジに引き上げさせていたのだと。
 バツが悪そうに上目で覗き込むようなウソップに、大きく溜め息を吐いてみせる。彼は巻き込まれただけで、何ら落ち度は無い。それを分かっていても、多少なりと八つ当たってみたくなるのだ。
 怒りの矛先を向ける相手は未だ気絶したままだし、正当に怒りを向けたとしても物ともせずに躱してしまうのだろうから。
 
「なぁ、サンジぃ。お前、ルフィとなんかあったのか?」
「……なんかって?」
「いや、その、なんて言っていいか分かんないけどよ。ルフィ、怒ってねぇか?」
 
 空気の変化に聡い男だと思う。確かに、本当に怒っているのはサンジではなくルフィの方かも知れない。けれどそれを訴える手段が一連のこれなら、サンジの怒りも正当だろう。
 
「サンジ。お前、大丈夫か?」
 
 参っているのはサンジであることも気付いている。素直に人を気遣える、優しい男に小さく笑みが零れた。
 
「ベタベタんなったから、風呂突っ込んでくる」
 
 だらりと弛緩した手首を掴み上げ、そのままズルズルと引き摺りながら風呂へ向かった。
 
 
 
 
 
 サンジもルフィもびしょ濡れだ。脱衣所へは留まらず、真っすぐ浴室へ入って行った。引き摺ってきた体をタイルの床へ放り出す。
 
「おい。起きてんだろ、クソゴム」
 
 乱暴に扱われたことに文句は無いようで、瞼をゆっくり持ち上げるとサンジを見てにっと笑った。四肢を投げ出し大の字になる。
 
「服が海水吸って動けねぇ。脱がしてくれよ」
「ふざけんな。テメェでやりやがれ」
「やってくれよ」
 
 サンジの言葉を打ち消すような強い口調。
 まただ。昏い瞳に射抜かれる。こんな目で見られたら、何も言えなくなる。先日キッチンで好きなように絡まれた時のように、身動きがとれなくなってしまう。あの時は盛った睡眠薬が結局のところ功を奏したのか、唐突に眠ってしまったから助かったのだけれど。
 でも、きっとそのことを怒っているのだろうと予想がつく。
 サンジは大きく息をついてルフィの傍らにしゃがみ込んだ。赤いシャツに手をかけ、袖を引き抜こうとするが濡れて上手くいかない。腹立ち紛れに強く腕を引くと、ぐにゃりとあらぬ方向へ曲がって思わずビクついてしまった。そうだ、ゴムだった。
 そう意識してからは殊更手荒く扱い、さっさと全裸にしてしまう。そうしてから脇をひょいと抱え、昨夜の湯が残った浴槽へ投げ入れた。ざばんと大きな水音が浴室内に反響する。洗濯の下洗いにしようと思って残しておいた湯だ、汚れてしまっても惜しくはない。浴槽が大きく湯量も豊富な為、夜から放置していても冷めきるまでの温度にはならず、人肌と同じくらいに感じる。
 サンジは、自分は後でシャワーを使おうと思い浴室を出ようと踵を返した。扉に手をかけて、暫し動きを止める。湯へ投げ入れてから、何の音もしない。
 ダメだ、騙されるな。そうは思っても、やはり万が一を考えてしまうとその場を離れることができなかった。
 振り返っても浴槽にルフィの姿はなく、水面はゆらりと落ち着きを取り戻そうとしている。
 サンジは舌打ちを響かせて浴槽の縁へ戻った。覗き込むと湯の底に揺蕩う肌色を見つけ、服を着たまま浴槽へ足を踏み入れる。沈んでいる体に手をかけ強引に引き上げると、ぶはっと大きく息を吐いてルフィがにやりと笑った。
 ああ、やっぱり。こいつはいつからこんな見え見えの、下らない駆け引きをするようになったのだろうか。サンジが放っておけないことを分かって仕掛けてくる。そもそもなんで急に懐き出したんだ?
 そんなことを考えているうちに何故か体勢は逆転していて、重ねられた唇に押し倒されるように湯の中へ沈んだ。舌が強引に割り入って来ると、口角の僅かな隙間から湯が漏れ入ってくる。息を長く止めるのは慣れているが、舌を吸われる刺激で鼻から湯を吸ってしまい思わず開いた口腔にドッと湯が流れ込んできて、肺に溜めていた空気を大量に出してしまった。出すと反射で吸い込んでしまい、気道を湯で塞がれて胸が焼き切れたように熱くなり、頭の芯がくらりと回る。
 白んで行く視界の端に、うっとりと蕩ける昏い瞳を見た。
 意識を手放しかけた体を、先程サンジがしたように湯の中から抱き起こされる。途端喉の隙間を駆け抜けるように空気が入り込んで、笛のように高い音が鳴ってから酷く咳込んだ。気道に入り込んだ湯も、咳と共に吐き出してしまう。一頻り咳が落ち着き荒い息を整えようとするが、まだ喉の奥に何か絡んでいるようでぜろぜろと喘鳴が止まらない。胸の上部が内側から痛むのは、肺に負荷がかかったからか。
 胸元のシャツをぐっと握り締め苦し気に俯く痩身を、ルフィはそっと抱き寄せた。今のサンジに抵抗する余裕はない。
 体温よりも低くなりつつある湯はそれでも海で冷えた体にはふわりと暖かく感じ、その中に二人座り込む。水面から出た胸より上が、濡れたシャツが冷気に触れて急激に温度を下げて行くのを感じた。ぶるりと震える肩を体の割に大きな手の平が包む。ルフィの体温がじんわりと広がって行く。シャツ一枚を隔ててひたりと吸い付くゴムの皮膚は、やっぱり心地良いと思った。
 幾分か呼吸が落ち着いてきて、思考もゆっくりと回り始める。背中を摩る手がとても優しく感じられ、サンジはそのまま目の前の肩へ額をつけた。声を出そうとするとまだ喉の奥に引っ掛かるものがあって、何度か咳払いをしてから話しかける。
 
「なぁ、お前どうしちまったんだ? 二年前は、こんな、なかっただろ?」
 
 少し掠れ気味の声は、酷く咳をしたせいか。
 ルフィはサンジを抱き締める腕に、僅かに力を込めた。
 
「お前の意志をソンチョ―して、我慢してたからな」
「オレの?」
「ああ、だけどやめた」
 
 唐突に掲げられた意志と言われても、一体なんのことなのか。
 サンジは顔を上げるが、乱れた金の髪が貼り付いてよく見えない。それをルフィがそっと掻き分ける。
 
「我慢して失くしちまったら、悔やみきれねぇ。俺は海賊だからな。欲しいモンは手に入れることにした」
 
 死を意識した、全滅を覚悟した二年前。あのときからもう、彼は決めていたというのか。
 そしてそれよりも前から、こんな欲望を秘めていたのだろうか。
 
「オレの意志は、もうソンチョーしてくんねぇの?」
 
 ふるりと揺れる薄い青に、ルフィは背筋にぞくぞくと走り抜ける何かを感じて小さく震えた。
 抱き締めていた腕を放し、両手で顔を包む。鼻先を擦り合わせ、べろりと唇を舐めた。
 
「だってお前、俺のことも好きだろ?」
 
 にやりと笑った顔が、何も間違ったことを言っていないと強く主張する。
 だがこういう顔をする時は、瞳の奥が昏く深く光を吸い込むように揺れるのだ。
 
「俺はお前の好きなこと、たくさん知ってるぞ」
 
 
 俺にメシ食わすこととか
 俺の肌がくっつくこととか
 体が気持ちヨくなることとか
 ゾロのこととか
 
 
「……オレはさ、アイツと同じようにはお前に接してやれねぇよ? お前のことはそりゃ好きだけど、お前とアイツは全然違うところにいるんだ」
「なんだ、そんなこと構わねえよ」
 
 諭すように、言葉を選ぶサンジに、ルフィは能天気に笑った。顔を包む手をそのままにぐいぐいと体を寄せると、サンジをじりじりと湯の中を後退させ壁際へ追い詰める。動きを封じ、下唇をちゅうと吸い、はむはむと甘噛みする。口に含んだままサンジを見上げ、もごもごと喋り出した。
 
「そりゃあ、ゾロと同じ意味で好きでいてくれたら嬉しいけどな。オレはお前のこと欲しいからお前の意志はもう関係なく触るけど、今はそのことを許して好きにさせてくれるだけでいい」
 
 
 いつか、ゾロと同じか、それ以上になるから、今はいい。
 
 
 そんなことを言いながら、顔の輪郭を舌でなぞり上げて耳朶にも歯を立てる。あ、ここも好きなんだっけ? と囁いて耳の裏をべろりと舐め上げた。
 粟立つ肌を気付かれ、ククッと小さな笑いが鼓膜に響く。
 
 
 ああ、悪ィ、ゾロ。オレ、やっぱり拒否れねぇわ。
 だって仕方ねぇもんよ。
 コイツの強引さには一生勝てねぇよ。
 
 
 人肌の境にある温い湯の中で、ルフィの手がシャツのボタンをひとつずつ外していく。揺らめく中で露わになった色素の薄い胸板を、陽に焼けた大きな手が這い回る。湯と自分の体温の境界が曖昧なところに、自覚を促すような熱い手の平が水分を含んでひたひたと吸い付いた。触れられたところからジンと熱が広がり、体の中を侵していく。熱が痺れを生み出し、体の自由を奪う。
 首筋の太い動脈に歯を押し当てられ、ぶるりと身を震わせると体を探る手の平の温度が上がった。そこからまた熱が体の中を灼き始める。熱さに耐えきれなくなり、はあはあと息が荒くなる。
 ボーッと浮遊し出した思考の隅で、いつかのゾロの言葉が唐突に浮かんだ。
 
 
 てめぇ、海賊向いてねぇな。海賊の前にコックだからか?
 奪うなんて頭の片隅にもないんだろうよ。
 与える行為に何の疑問も持たねぇんだな。
 
 
 そんなことを言われた。
 
 
 そうだな。海に出てから、一度も海賊らしいことをしたことがないかも知れない。奪うという意味の海賊行為は。
 だけど今、それとはちょっと違うかも知れないけど欲しいモノが、手放したくないモノができた。
 ルフィを拒めないのに、ゾロ、お前が離れることが怖い。
 ゾロを裏切れないと今この瞬間も思っているのに、ルフィを拒絶したくない。
 まいったな、オレ、どっちも欲しいんだ。
 
 
 自覚してしまうと、とても可笑しくなった。とんだ節操無しだ。でも欲しいのだから仕方ない。
 力が抜けて重くなった両手をゆるゆると上げて、首に肩にと遠慮なく咬み後を残している黒髪の頭を抱き締めた。黒曜の眼が、上目でサンジを伺う。目許の傷にキスを落とすとくすぐったそうに、嬉しそうに笑った。
 いつもの、無邪気な笑顔。
 
 
『与える行為に何の疑問も持たねぇんだな』
 
 
 当たり前だ。疑問なんかあったら、食わしてなんかやれない。自分のやっていることを疑ったら、もう何もできない。
〈与える行為〉を利用することに目を瞑るんだ。与えて、彼らを絡めとるのだ。
 浅ましくとも、初めて感じた海賊らしい欲求を、欲望を満たしたい。
 
 
 水面との境に浮き沈みする胸の突起を、ざらりとした舌で強く圧し潰されて喉を反らせた。その喉を褐色の手が包み、這う。
 体温は上昇し続けていて、もうすっかり冷めているだろう湯の温度との境界が曖昧だ。
 微かに漏れた声が浴室に大きく反響して耳孔を侵し、それが嫌で唇を引き結び声を堪えると思いがけず涙が滲む。それを目敏く見つけたルフィが身体を起こし、ぐいと瞼を親指で固定して眼球ごとべろりと舐め取った。
 声にならない声を喉奥にくぐもらせ、ルフィを見上げたサンジは大きく心臓を跳ね上げる。
 
「……なんて貌、してんだよ……」
 
 自分より年下で、いつも下らないことで大騒ぎをして、まだまだ少年の域を出ない見慣れたはずの顔は、見たこともない雄の妖艶さを湛えて自分を見下ろしていた。
 ごくりと唾を飲み込んで上下したサンジの真っ白な喉の動きを、完全なる捕食者の眼で追うとルフィはうっとりと微笑む。
 
「アイツ、呼ぼうか」
 
 なに、と意味が解らずに言葉を零すサンジの頬に甘噛みしながらクツクツと楽しそうだ。
 
「いや、もう気付いてるか。お前、気配たれ流しだモン」
 
 ほら、近付いてきた、と悪戯っ子のように無邪気な口調でサンジの耳に囁く。そう言われて熱に浮かされた意識をほんの少し集中させると、感じたこともない冷たい気配がもうすぐそこまで来ていた。
 怒りでも失望でも何ものでもない、全く感情を読めない気配は、しかしとてもよく知っている男のものだ。
 今度は心臓がぎゅうと縮み上がる。だがいずれは彼の知るところとなるだろう。ならばこのタイミングでもなんら問題はなかった。
 湯の中でルフィの手が器用にベルトを外し、ズボンの前を寛げる。
 がちゃりと聞き慣れた、長いものがぶつかり合う音が聞こえた。体の熱を逃がすように浅く呼吸を繰り返しながら、サンジは両手を前に出し、白く長い指を伸ばして誘う。
 入口に凭れて白い刀に手をかけ、隻眼を眇めてこちらを見ていた愛しい剣士を。
 
 
 
end