13.「ばーか」

2015年04月09日 13:49
船縁の柵に立って向かい風を受ける。
緩やかな風が急に方向を変え、背を軽く押されたように上体を傾かせた。
このまま落ちたとて今日の海は優しく受け止めてくれるだろう。
目を閉じたのがいけなかったらしい。片手を強く引かれ硬い胸板に抱きとめられ、見上げると怒った顔。
ばーか。どこにも行かねぇよ。
 
 
 
 
 
「ばーか」お前なんか嫌いだ
「ばーか」顔も見たくねぇ
「ばーか」寄るな
「ばーか」触るな
何度言っても肝心なところは声に出ない。それどころか掴んだ服の裾を離せないのだから、我ながら矛盾している。
そんなオレのことを一番よく分かっているのが、ばかと言われて喜んでいるこの男だなんて。
 
 
 
 
 
ぐぐ、と押し込まれる質量に息がつまる。痛みよりもその圧迫感に体が強張る。
うまくいかない息継ぎを心配そうな瞳が見下ろした。
「ばーか、らしくねぇツラしてんじゃねぇ…」
 
途切れ途切れの言葉と、滲んだ眦は余計奴の顔を歪めたけど。引き返せる訳ねぇじゃねぇか。
オレは奴の頭を抱えてやった。